メスメール博士は扉を開けて明るい色の長衣を来て磁石棒で触診したと言う。
 この療法は磁気よりも音楽による心理的効果の方が大きい事を現代人は知るであろう、やがてメスメール博士のこの療法はプイゼクル侯に引き継がれ、彼は偶然催眠術を発見する。
 単純な律動が、それが音楽であれ人間の行う舞踏を観賞する行為であれ(舞踏は音楽の伴奏付きで観賞される事がほとんどである)人間の精神に或る作用をもたらす事は、それが早い律動であれ、遅い律動であれ事実です。
 確かにダンスの速度や、律動は人を忘我状態にしそれは宗教的悟入に近い物かもしれない、しかし基々原始的求愛の要素を含むダンスの速度や律動が生む作用や忘我状態は酒類が人体に与える忘我状態に似た作用で有ることを或る程度は認めて頂けるであろう。  皆さんの国の賛美歌やパレストリーナやバッハの音楽の律動や速度、聖職者の動作は忘我に似た作用をもたらす事はダンスに似ていても、ダンスのスピードやリズムがもたらす “原始的求愛の要素を含む酒類が与える忘我に似た状態”には似ていない。
 時に基督教の教会の華麗なステンドグラスの仄暗さ、いや全ての宗教の教会に茶室の暗さを発見するのは容易である。これは光の静けさの演出と言える。
 静寂の宗教的悟入を否定するのなら、メスメール博士が作った世界は何であろうか? フロイト博士の自由連想法はロックのリズムとコンクリートの破壊音とジェット機や自動車が生む騒音に合わせ行われるのであろうか?現代の催眠術はメスメール博士の時代よりはるかにテンポが早いであろう、手前は催眠術ではないけれど、ゆっくりとした動作が心に静けさと平安を与える事は厳然たる事実です。皆さんはこの答えである程度手前の意義が分かって頂けたと思います。
 それでも速度の早い手前やダンスを観賞しながら手前を省略して数寄屋芸術を楽しもうと言われる人が居るかもしれない、そう言う皆さんには世界の人類の全てが寝る時に寝室を明るくし陽気な音楽とダンスをしながら、踊りながらでも熟睡出来る日にダンスをしながら数寄屋芸術を楽しむ事をお勧めします。
 だが合衆国、欧州の皆さんは今な事を疑問に思うでしょう「わたくし達の部屋、芸術観賞の場であるサロンはロココやアールヌーボーの美しい装飾で飾られています。数寄屋は 高貴なる精神を目指す場所である事は分かりました、しかしあの簡素過ぎる部屋の装飾は何とかならないのでしょうか」と。
 皆さんは易経の山火賁の爻辞中に何も飾りの無い白を尊重する思想があるのを御存知だと思います。皆様に是非その思想を思い出して欲しいのです。飾りは誠に重要な物でその美しさは芸術の精華と言えましょう、だが朝鮮半島で生まれた素晴らしい青磁、白磁は、清楚の美の極致である、装飾一杯に飾られたロココやアールヌーボーの貴族的趣味は素晴らしい物ではあるが、また、清楚の美も認めて頂きたいのです。
 そして数寄屋が殺風景とも思えるくらい簡素なもっと大切な本当の理由を述べましょう清潔です。            

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皆様は日本の比叡山に今も三つの地獄が有るのを御存知でしょうか?千日回峰行地獄、常行三昧地獄、掃除地獄です。
 この掃除地獄を説明しよう、この地獄はこの寺院を開いた伝教大師の廟を朝から晩まで徹底的に掃除をする修行の事です。そしてこの修行のため選ばれた
修行者はこの伝統ある寺院で最も選ばれた秀才しか許されない、しかも確かその期間は12年間です。
 「えっ!たかが掃除!嘘!」そう言って皆さんは笑うであろう。しかし、皆さんは小さな部屋一つをたった一粒の塵も無い様に掃除をする事がいかに難しいかを
考えた事がありますか?この修行は実は心の塵を払う修行である事を聡明な皆さんは理解した筈です。  日常の中に偉大を見付けるのは禅の思想です。宗教的力量が優れている選択された優秀な僧は実にここではつまらない仕事をさせられるのが常です。
 数寄屋も同じで、この小さな空間が、そこがいかに古惚けて居ようとも光を見付けるのがここを使う芸術家の絶対的使命である。伝教大師はそれを「一隅を照らす者それ国の宝なりと言い、その人を天竺では菩薩と言い、支那では君子と言い、また金銭が国の宝ではなく、この一隅を照らす人こそ真に国宝と伝教大師は言う。
 なるほど、天下、国家を論ずる事は重要な事であろう、しかし、一隅を真に照らす事がいかに難しいかを知っている人こそ天下国家を論ずる事が出来るのではないでしょうか、その誠に難しい修行をする修行の場に茶室をせよとの願いが茶室に清潔簡素の美を愛させた真の理由です。
 しかし、皆さんは言うことでしょう「意義ある数寄屋芸術を何で学校で教えないのか?数寄屋芸術は封建的世襲制の家を頂点として中心としてのみ教えられているではないか、これは民主主義ではない」と。
 第1の質問は数寄屋芸術、ならびに日本の芸術は面接的個人教育を重んじるからである。これは世界を例にとっても基督、ソクラテス、孔子、釈迦…近代日本では吉田陰松など 歴史を動かした人物を育てた教育者は皆、面接的個人教育の名手であった。
 欧州の中世に生まれた大学は確かに偉大ではあるが、この面で少々掛ける部分がある事を皆さんは少しは認められるでしょう。
 第2の質問には一切言い訳はしない、その通りです。封建的世襲制の家を頂点として教える事は何がしかの利益はあるのであろうが西洋の皆さんは茶の精神だけを学びそれを生かして欲しいと祈るだけであります。
 先に日本の人達の根本精神である礼の精神を説明した。所で、テニスは日本では皇室まで愛好するスポーツで、それは若い女性の憧れであるし、野球は少年の最も愛好するスポーツである。
 しかし、或る人が言うにはこれらのスポーツは誠に下品極まり無いスポーツであると言う意見が根強い、何故か?日本の国技の相撲は負けても勝ても対戦相手に礼拝を相手にする。どこかの一流テニス選手の様に審判に悪口雑言を、それも驚くべき勢いで言う事は決して無いし道具に八つ当たりもしない 
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