メスメール博士は扉を開けて明るい色の長衣を来て磁石棒で触診したと言う。 |
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皆様は日本の比叡山に今も三つの地獄が有るのを御存知でしょうか?千日回峰行地獄、常行三昧地獄、掃除地獄です。 この掃除地獄を説明しよう、この地獄はこの寺院を開いた伝教大師の廟を朝から晩まで徹底的に掃除をする修行の事です。そしてこの修行のため選ばれた 修行者はこの伝統ある寺院で最も選ばれた秀才しか許されない、しかも確かその期間は12年間です。 「えっ!たかが掃除!嘘!」そう言って皆さんは笑うであろう。しかし、皆さんは小さな部屋一つをたった一粒の塵も無い様に掃除をする事がいかに難しいかを 考えた事がありますか?この修行は実は心の塵を払う修行である事を聡明な皆さんは理解した筈です。 日常の中に偉大を見付けるのは禅の思想です。宗教的力量が優れている選択された優秀な僧は実にここではつまらない仕事をさせられるのが常です。 数寄屋も同じで、この小さな空間が、そこがいかに古惚けて居ようとも光を見付けるのがここを使う芸術家の絶対的使命である。伝教大師はそれを「一隅を照らす者それ国の宝なりと言い、その人を天竺では菩薩と言い、支那では君子と言い、また金銭が国の宝ではなく、この一隅を照らす人こそ真に国宝と伝教大師は言う。 なるほど、天下、国家を論ずる事は重要な事であろう、しかし、一隅を真に照らす事がいかに難しいかを知っている人こそ天下国家を論ずる事が出来るのではないでしょうか、その誠に難しい修行をする修行の場に茶室をせよとの願いが茶室に清潔簡素の美を愛させた真の理由です。 しかし、皆さんは言うことでしょう「意義ある数寄屋芸術を何で学校で教えないのか?数寄屋芸術は封建的世襲制の家を頂点として中心としてのみ教えられているではないか、これは民主主義ではない」と。 第1の質問は数寄屋芸術、ならびに日本の芸術は面接的個人教育を重んじるからである。これは世界を例にとっても基督、ソクラテス、孔子、釈迦…近代日本では吉田陰松など 歴史を動かした人物を育てた教育者は皆、面接的個人教育の名手であった。 欧州の中世に生まれた大学は確かに偉大ではあるが、この面で少々掛ける部分がある事を皆さんは少しは認められるでしょう。 第2の質問には一切言い訳はしない、その通りです。封建的世襲制の家を頂点として教える事は何がしかの利益はあるのであろうが西洋の皆さんは茶の精神だけを学びそれを生かして欲しいと祈るだけであります。 先に日本の人達の根本精神である礼の精神を説明した。所で、テニスは日本では皇室まで愛好するスポーツで、それは若い女性の憧れであるし、野球は少年の最も愛好するスポーツである。 しかし、或る人が言うにはこれらのスポーツは誠に下品極まり無いスポーツであると言う意見が根強い、何故か?日本の国技の相撲は負けても勝ても対戦相手に礼拝を相手にする。どこかの一流テニス選手の様に審判に悪口雑言を、それも驚くべき勢いで言う事は決して無いし道具に八つ当たりもしない |
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