この“狂気に近い世界に自分を引き込む”魅力とは、裏を帰せば引き込まれた人は、この“引っ張き込んだ人”に“支配される”事に他ならないのです。 |
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以上の色々な説明が天才への無視、迫害の理由と考えられる。まだ天才への無視、迫害の理由は有りえるが、この様な無視、迫害が何故、必ずしも天才の絶対条件ではないが天才には有った方が有利、出来れば必要と言う事が起こるのでしょうか? それは天才の作り出す芸術は高尚で有ったかもしれない“人の隠れた狂気を引き出す力さらに、その力を引き出す事によりその人に恋愛感情にも似た感情を起こさせ支配する魅惑”(言い換えれば或る意味での洗脳)を起こす力も潜在的に持っていたかもしれない、しかし天才が社会に係わるとは天才に取って人間、言い換えれば凡人の心を学ぶ事です。 作品の中に凡人との心の共感が無い作品は駄作です“人の隠れた狂気を引き出す”事は例えば本当の気違いの作品でも出来るかもしれない、しかし天才は“本当の気違いが作る作品は作らない事が多い”何故なら天才の作品と言えども、その創作した作品を観賞し感動するのは凡人である。気違いにだけ分かる作品を創作しても仕方がないのです。 時に山鹿素行の文章は赤穂に左遷された不遇の時から素晴らしくなったと言うし、柳宗元も左遷される前は四六駢文のただ美しい文章を連ねるだけであったと言います。 天才はこの迫害や無視、それで生じる困難によって凡人の人情である悲しみ、怒り、辛さ、愛などを深く学のです。そして彼等は基々凡人では無いから更にそれらをもっと高い世界へと昇華させる。だから天才の作品は多くの凡人おも強い共感に引き入れる。以上の様な共感に加え基々“凡人の中にに眠っている狂気の世界を引き出しそれで天才自身に恋愛感情に似た愛着の感情を起こす魅惑の力”を基々持って居る人物が天才には大変多い。 この本当の気違いの作品の変な呪術的な力とは違う黒魔術の魅惑の力、更に凡人への共感によって生まれた魅力、先天的、後天的制限が生み出す神経性的病んだ心が作品に与える悩みの真剣さやそれから解放される喜びの素晴らしさ、努力の原動力となる満たされない性愛や劣等感の代償を求める努力と後天的危機的状況それら諸々感情を解放した浄化が作品に与える魅力、また天才が秘めている先天的狂気その物自体が作品に与える斬新さや表現技巧、基々天才が所有する高度の知的力、これが幸運に出会った時、天才の芸術的業績が生まれる事が多い。だから天才の作品は信じられない魅惑を持つのです。でもこの説明は先程の迫害が天才を天才足らしめる最も大きな理由の一つになる事があると言う本当の答えにはならないのでそれを説明致しましょう。 天才の最も特徴的な事は主の天才が亡くなって長く名声が続くと言う不思議な現象です。こんな事は自然界には決して有り得ない、その事が起こる原因は何かが以上説明して来た“迫害が天才を天才足らしめる”と言う事なのです。時に普通、地球と言う大きな質量を持った天体が爆発すれば、その持っている重力場は無くなってしまいます。 ところが天才の持つ心理的な場(心理的に特殊な力を持つ空間や作品とでも思って欲しい)は無くなるどころか帰って大きな引力を持つ、社会的に地位の高い人に会うと、わたくし達はその心理的な場のため緊張したり引き付けられたりするが、大抵その人物が亡くなるとやがて忘れてしまうのが常でありましょう。 |
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