ところが天才はそうではない。そして天才の死後の名声はヒトラーと言えばアウシュビッ、スターリンと言えば千二百万人の血の粛清言う忌むべき死後の名声“あんな人物には決してなるな”と言う名声では決してないのです。
 天才の名声はその死後もその天才を中心に有益に創造的に不思議に人々が喜ぶ魅力として働く、この現象が“天才が生きていた時、一般人が天才を無視した事”とどんな関係にあるのだろうか?
 当然生きている時の人々の無視は天才を生きている時には殆ど無名に近い存在にする、ところが、それは当然の事ながら生きていた時、有名な人物よりは、はるかに天才の生涯を分からない物にします。
 その事は有名でなかったから当然です。しかし、それが天才の死後の名声に繋がる事が良くあるのです。
 ところで、わたくし達の興味を引く物語に財宝を見付け出す物語がある。そして、その財宝は必ず謎めいた場所にある。謎の財宝を発見する謎ときや困難を描いた劇は、それこそごまんとあるが宝を発見した後、宝と一緒に贅沢に暮らした日々を表わした劇を知らない。これは、その困難な過程の劇的な面白さを追及する事もあるが人間が謎を追い求めたかの心理を現す。例えば或る将軍が国を滅ぼしかねがね人に知られている、誰でも見た事のある巨大な黄金の仏像を手に入れた、と言う物語よりも謎と伝説と神秘にに彩どられた宝物を困難のうちに手に入れる物語の方がはるかに魅力が有るのです。
 天才に見られる謎めいた創造性の素晴らしさに魅力を感じるのもこれと同じである。 わたくし達、凡人を引き付けて止まない理由は創造性の謎に有るのです。
 自分達の祖先が罵声と無視とで葬り去った天才なのに、その才能の素晴らしさが認められなかった事への同情、天才の死後にわたくし達が持つ感情はその才能が認められなかった事への同情である事も、死後の名声の秘密です。
 また死んで初めて天才は単なる奇怪な代物を作った人々(ただの奇怪な代物かそれとも芸術性がある物かを見分けるのは非常に困難だが)、自分では天才と思い込み死後名声が得られ無い人々、本物では無かった単なる少しの才能を持った人(殆どの人々99,9999%はこの人達だが)とも区別されるのです。
 罵声と無視とで葬り去った天才なのにやっと辛うじて命長らえて残った天才の業績を見て人々はやっと知るのである。これを創造した人は奇怪な代物を作った人々でも無く自ら天才と思い込み死後名声が得られ無い人々でも無く、本物では無かった単なる少しの才能を持った人でもなかった人物である事を、そして生きていた時は不遇であった事を。  それが人々に同情を呼ぶ、それは火雷天神信仰に見られる人々の罪の意識が亡くなった優れた不遇の人を神として祭る性質の物と同じ感情の物でしょう。
 しかし、もっと重要な事は天才が名声を得る時にはもう、その天才はこの世の人では無い、その事が、その謎めいた創造力を更に伝説化し神秘的な物へと彩色するのです。
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その神秘的な力が伝説的に彩色される事と繰り返すが力量は抜群でありながら自分達の祖先が無視したと言う不遇への同情が死後の名声、人気に拍車を掛ける。この事を説明するのに一つの例を示て参りましょう。
 それは法華経の有名な如来寿量品の中の一説。「衆は我が滅度を見て広くを し広く舎利を供養し広く皆な恋慕を懐いて渇仰心を生ず」この偈は生きていた時よりにも増して優れた人物を美しく憧れに満ちた物にする心理を良く現しています。
 天才は生きていた時の無理解、迫害への同情を受けると共に、その創造力の謎と更に、その謎が死によって天才が居なくなった事により逆によけいに増幅され死後の名声(死後の人気とも言える)は決定的になるのです。
 だから信じがたい事かもしれないが天才は必ず異常性、奇形性を持ち、生きている時は無視、迫害され大衆の生け贄、神の生け贄の二つの性質を持っていたほうが天才の死後の名声には絶対に有利であると言う結論が生れて来るのです。
 たとえ生きていた時に名声を上げていた天才でも、不幸、中傷が付きまとい、それらに打ち勝つ力と謎めいた雰囲気を感じさせる或る不幸な人生と、それに伴う孤独な人間関係と恐るべき創造力は在ったほうが天才らしいのです。
 現代は違うが、かっての歴史上の天才にはこれらの要素は有利に働いたのだった、そして天才は死後不滅の星座となって歴史と言う名の夜空に永遠に輝くのです。
 しかし、幾ら天才が不滅の星座でも、その様な人物に自分が成りたいと思う人は絶対に居ないであろうし、ここに天才の男性が居たらその妻に成りたい人は決して居る訳がないのである、そうもうだいたいお分かりの様に天才は犠牲者だからです。
 何故か?今更説明しなくとも先程のポー夫人は有名な女性だ、ポーは若くして亡くなった薄幸の妻を海辺に住む美少女に例えてさっきの詩を作りました。
 この女性の名は天才の妻として美しい浪漫的星座として歴史の暁の夜空に金星の様に夢の様に輝く、しかし妻たる彼女の運命まで天才の運命は犠牲にしたとは思えないだろうか。 人は何者かを引き替えに或る物を得るのである。天才はその信じられない素晴らしい才能にも関わらず寿命、世間の無理解や非難、迫害、貧困などと引き替えに誰にも出来ない独創的業績を得る。科学、芸術、宗教、哲学、その他の思考や技術もはたから見ると、あんな思考が、あんな技術が持てたら良いなと思うが天才達は時間やその他の世俗的な幸福を犠牲にしてこれらを得た人が多いのは事実です。
 天才は大衆の救済者となる事がある。しかし大衆からは迫害無理解などにより犠牲者にされる事が多い人物です。先程のポーの妻は天才の妻と言うだけで天才の運命に一緒に巻き込まれ一緒に不幸になってしまったのです。だから人は天才にもその恋人や妻や家族にさえもなりたがらないのです。
 ところで天才を更に天才にするのは異常な環境が拍車を掛ける事は先に述べた。だが、その迫害はしょうがないかもしれないのです。                  

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