今までの事は天才が先天的に与えられた制限であった。では後天的な制限の時の天才の心の状況を戯曲風に説明しよう。犯人「俺は何にも知らないよ!」刑事「うるさい!ゲロしろよ!吐けよ!吐くとすっきりするぞ!」昔、犯人を問い詰める刑事がこんな恐ろしいで自白を強要した刑事ドラマを見た覚えはありませんか?これは人生の制限の場面に直面した時の天才の心理を現す説明の手掛かりになるのです。
 また、こんな、たわいもない台詞を皆さんは知っているでしょう「王様の耳は驢馬の耳!」これも人生の制限の場面に直面した時の天才の心理を現す説明の手掛かりなのです。
 以上の二つは心に隠事をして、それを全て打ち明けると心が解放される場面を選んだ。ところで上記の刑事の台詞を、運命の神に置き換え、運命の神「!ゲロしろよ!吐けよ!吐くとすっきりするぞ!」と読み変えると、この台詞は人生の制限の場面に直面した時の天才に何かの心のエネルギーの解放を要求している様に聞こえませんか?
 幾ら天才でも人間なのだ。人生の制限の場面、言い換えれば人生の危機的状況に立された時、人は葛藤し、欲求不満を起こし、悲哀し、苦悩します。
 そんな時、凡人だったらどうするか、せいぜい酒を飲み、ばくちをし人に縋り異性関係にだらしがなくなり…とこんな物かも知れない、しかし、彼等はそうでは無い、この危機的状況を創造と言う表現エネルギーに置き換えてより強力な感動を伴わせて抑圧から解放飛翔する。アリストテレスは演劇の理論でこれを浄化(カタルシス)と呼び重要視した。天才にはこの葛藤し、欲求不満を起こし、悲哀し、苦悩する人生の危機的状況が逆説的な言い方ではあるが実は必ず必要と言うのはそのためなのです。
 「ゲロしろよ!吐けよ!吐くとすっきりするぞ!」と過酷な運命は天才に創造の浄化を迫る。すると天才は今まで平凡に暮らしていた抜群の才能人であったのかもしれない、勿論ぼんぼんと生きて来た天才も居るだろうが危機的状況は今まで眠っていた心の深い力をも総動員させ、いわゆる火事場の馬鹿力を発揮して、ぼんぼんと創造を繰り返す平凡な芸術家達とは比べ物にならない違った危機的状況に立つた爆発的飛翔、爆発的創造、高圧蒸気(天才の精神力)が丈夫な容器(制限)を破る様な、猛獣(天才の創造力)が檻(制限)から飛び出す様なエネルギーを持った創造力で「王様の耳は驢馬の耳!!!」と心のわだかまりを吐く様に創造を成し遂げる、そうして危機的状況の自我の平衡を保つのです。 そして制限はもっと天才の心に大事な物を与える。先天的な物もあるが“心の病”だ。バッシ!と頬を打たれたら「痛い!」と叫ぶのは真実の心です。天才は神に先天的にせよ、後天的にせよ“打ちひしがれた人”であり、それは心の病を呼ぶ、そうして天才の心は叫ぶ「苦しい!」またそれを乗り越えると「素晴らしい」と、その病んだ心の真実の叫びが人の心を真に感動させるのです。これが全てでは無いが天才の気違い染みた創造力の一つの秘密、制限です。しかしこの様な天才が歴史上多く迫害された、その理由は何なのか?皆さんはそう思う、この答えこそ天才を天才たらしめる最も大きな理由であり奇形中の奇形の天才の本質を語る上では決して避けて通れない部分なのです。 
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天才は何故軽蔑され迫害される時が有るのか?それは天才が奇形だからです。丁度沈香の最高級品の伽羅の香りに顔を歪め、奇怪な虫を見て顔を歪めた〔仕事する太郎〕と同じ心理が天才を見る時、普通の人に働くからと考えられます。
 奇形、もしくは奇形の人間の作った物には人は初め奇形であるがゆえに素晴らしくとも違和感を感じ理解を示さない時が有るのでしょう。
 でも、それにしても、歴史上の天才は何故あそこまで無視されたのであろう?と思うであろうその答えは簡単です。
 先程、人相の奇形である美人何ぞは、か弱く美しいが物の役にも立たず実際の労働にはもっと逞しい女子プロレスラーの様な女性の方が役に立つと述べました。それでも美人は男性にとって魅力が有るから愛されるかもしれない、しかしもっと物の役にも立たないのは天才です。
いくら素晴らしい詩を書いて売ろうとしたところで世間の男性には娼婦の写真を印刷した雑誌、競馬の予想を適格に教える新聞、旨い酒を飲ませる店の案内雑誌の方が売れるのです。

 天才は実用に成らない故に実社会では極めて低価値に扱われるのが宿命です。要するに用途がまるで違う人種なのです。
 例えばここに実際に役立つ鉄屑と何の変哲もない30カラット程のダイヤの原石を置いて、どちらが価値があると答えさせたら百人が百人とも鉄屑と答えるであろう。天才は生きている時、磨き込んでいないダイヤの原石と見える事が多いのです。
 また一両(約15g)の伽羅と立派な普通の建築用の柱はどちらが高いか?勿論、伽羅である。この普通には馬鹿馬鹿しい朽ち木としか見えない物がです。
 或る大工さんにこの両方をこう言って選ばせた「おい!そこのつまんねえ朽ち木と柱とどっちか旦那さんが、あんたに上げるとよ、その朽ち木は、どっかから拾って来て、ここの旦那がどう言う訳か大切にしていたんだが、つまんねえ物を大事にする人だぜ」すると大工さんは「あっしは当然、柱を貰って行きます」と言うに決まっているでしょう。
 建築用の柱は一般の平凡な人である。伽羅を天才とすれば天才は普段は丸で役立たずの木と言えば上の例えは直ぐ理解出来るであろう。天才は一部の限られた人にしか全くその価値を認められない材料で有る場合があるのです。
 一般木材(普通の人)を伽羅(天才)にする事は出来ない。しかし伽羅(天才)で家を建てる事はもっと出来ない相談です。丸で用途が違うからです。
 アーベルと言う天才数学者が居たました。4次以上の次数方程式の解の公式などは存在しない事を証明した人と聞いた事がある。例えばここにその事を書いた論文が在ったとしてもわたくし達は給料の利子をいかに有効に殖やすかを馬鹿でも分かる用に書いた銀行の案内書を2つの中から選べと言われれば皆さんならどちらを取るでしょうか?その答えが天才が無視された一つの大きな理由なのです。 
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