時に前の毛沢東の言葉は信念と言う言葉には直接関係の無い言葉では在るが創造的信念は必ずしもただ環境的に恵まれる事では無い事を説明するのに都合が良かったため引用した。そしてこの言葉を裏付ける様に世界には身体の不自由、環境の劣悪さを克服して立派な仕事をした人は多い。
 天才にはこの様な人物が多いのは事実です。天才の生き方を見ていると、まず信念を持て!それを実現させる絶え間ない努力を持って力を尽くして生きてみよ!人間で大切な事は創造的信念を持って生きる事では無いか?と問うている様にさえ感じるのです。
 社会には身体の不自由、環境の悪さを蔑視する人物が居るが、彼等はその様な環境を自ら願った訳では決して無いだろう。彼等天才はその様な蔑視にも関わらず上記の人々の無理解や迫害に会いながらも自己の創造的信念を完成させた事はやはり偉大なのです。
 ではこの信念を持つ事、それを実現させる絶え間ない努力だけが、すなわち天才その物なのであろうか?その答えは否だと思います。
 何故か?それは信念の偉大さだったら、ただ苦行を重ねる行者的人物が歴史には多く現れた。確かに、その中の人物には立派な人物も大変多い、しかし、その行で、ただそれを金儲けの手段としている人物も居るし、西洋の練金術を思うとその信念その理想は素晴らしい物だが、またちょっと理性のある人間なら馬鹿馬鹿しい事が直ぐ分かる信念であった。 練金術師が信念を持つ事、それを実現させる絶え間ない努力を行う事は練金術師を社会が「彼等は偏執狂だよ」と言わせても仕方無い物であった。これを以てもただ信念と努力の人だけでは天才とは決して成り得無いのです。
 では、天才の本質とは?先に正しい信念を持つと言ったが何が正しいか、なにが素晴らしいかそう言う真理を見抜く直感、天才の資質の一つは真理に近付いた人その直感を持った人と言う事が出来るでしょう。
 ところでわたくし達は直ぐ自然現象をやれ汚いから否だ、やれ綺麗だから良いと事物を表面的に捕らえがちです。しかし例えば、わたくし達が「汚い!」と言って嫌がる尿の事を考えてみましょう。
 尿は血液の濾液で、数種の疾患の手掛かりを与える物です。一枚の試験紙から、PH、蛋白、糖、ケトン、ビリルビン、潜血、亜硝酸塩、ウロビリノーゲン等多くの情報が得られます。
 ここで言いたいのは尿の話ではない、何気ない現象も実は探る価値は色々有ると言う事だ。例としてレンネックは、子供の遊びで紙の包みの聴診器を作り、その効果の大なるに驚き聴診器を医学の診断に取り入れた。心臓、肺の聴診は一昔前まで重要な診断方法であったのです。
 ところでハーローが猿にパスルを解かせると、報酬が得られずとも12日も、熱中すると言う。この話は、高等生物は或る生理的本能より好奇心が強く働く時が有る事を示しています。
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時にわたくし達はガレリオが天体の様子を、レーエンフックが顕微鏡で微生物を見た時、今まで見えなかった世界が広がった感動を想像する事が出来ます。
 彼等は未知を見た。人間の魅力の一つは、未知の世界を見る好奇心的努力で、それ等は電子から宇宙に至るまでにおよび、学問は未知を見る魅力に憑かれた人々によって作られた物とも言えます。
 天才は未知の真理を発見する優れた直感力を持っている。この眼を養った先人の努力の歴史、特に“小さなつまらない事に大きな真理”を発見した努力は偉大その物です。
 考え方に臨機応変が利かない通り一辺倒の見方や、お定だまりの考え方しかしない人物暇をただ享楽ばかりに当てたローマ人とは訳が違うのです。
 昔のの哲学者は暇を勉強に当てたと言うが彼等も現象の未知なる定流を求めたのかもしれません。
 時にゲーテは「自然と言う物は…中略…真実で純粋な物だけに、身を任せ、その秘密を打ち明ける」と言ました。
 あらゆる人生の現象の中で発見は有る。韓兪の言葉に「貴と無く、賤と無く、少と無く、道の存する所は師の存する所」とある。師と思われぬ人の中に師は有り、さらに自然の中に尿にさえ発見は有りました。
 人は現象の真理の発信者を、ただ学校を卒業すれば観れると思っている。ところで或る時、子供が卵を割る職人を見て自ら勉強そっちのけで卵割りに熱中するのを見ました。
 またニートンの林檎の話の様に、卵割り小僧の様に、純粋さにも似た眼は身辺雑多の中に宗教、芸術、哲学、科学などが持つ真理の糸口を案外見るかもしれない。
 真理はただ学校を出ただけでは決して発見出来ない。天才は真理に近付いた人であり、臨機応変の利かない通り一辺倒の見方や、お定だまりの考え方しか出来ない人物では決して無い、否、真理は案外学校教育が人間の創造力の全てと思っている人物よりも卵割り 小僧や、ゆで卵を作るのに時計を入れて気付かなかったニートン馬鹿の様な身辺雑多に何か無我夢中になれる物を見付ける人物に微笑むのかもしれません。
 この様な話を聞いて或る人が真理を発見したと狂喜した。その内容は「釣りをする時、一本の釣竿で釣りをするのではなく、数本同時に釣竿を地に差すと一片に多くの魚を捕らえられる」と言う物であった。ところで彼は天才だろうか?勿論この発見だけで天才と呼ばれる事は不可能です。
 社会には発明家と称する多くの人がその閃きで時に大変な金銭を儲ける場合がある。 彼等は天才と成りうるであろうか答えは恐らく否でしょう。
 ところで1分間に3?この数字は人間の心臓の1分間のだいたいの血液を送り出す能力である。大型の動物はもっと多いだろうし、全ての成人はこのくらいの能力であろう。 動物は全て或る犠牲の上に生命を維持しています。

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