第1章 平安と平和の道
「家に迷わず帰れる?」と質問したら「馬鹿言うな!」と人は笑う、そして「帰れるに決まってるよ」と言う。
 では「人生で道標、何かの指針を持って生きている?今日は無事でも事ある時に迷わず人生の終着点に行く事が出来る?家に迷わず帰れるのは意識、無意識的にせよ心の働きがあるからだ。
 だが、人生で意識、無意識的にせよ指針、生きる意味を持たないと無事の時は良いが苦難の時は意味と目標が無ければ生きて行けない時も有るのでは?」と言われた時、何人の人が家に帰る道順を知っている様に人生の道順とも言うべき指針を持っているだろうか?
 もっとも人生の未来は不明なので家の道順とは違うが、ではただ漫然と生きる事が人生を迷わない術とも思えない。
 ところで或る芸術で、その芸術を楽しむのも大切だが芸術には誰にも分かる本当に簡単な指針も思索も或る程度必要であろう。これから特に西欧の皆さんに誠に簡単明快で誰にも分かる様に東洋の芸術の精神を問答風の形式を使って紹介しようと思います。
 時に我国の芸術は贅沢で茶、能楽、歌舞伎、文楽は専門の場所を持って居るから行われる場所が原則的には違ます。
 西欧の様にバレー、音楽、演劇などを一つのホールで行う事は少ない、場所も種類も多種多様なこれらの芸術を一々紹介出来ないので、その内数種類の芸術が集まる数寄屋芸術を紹介する事が合理的であると考えこれを紹介します。
 この芸術は我国の大衆に親しまれ内容は奥が深い。茶、立華、香、菓子、懐石料理、庭園、建築、書、絵画、陶芸や工芸、織物などを、この芸術は観賞するが、これらの芸術も一々説明するのは大変で茶、立華、香を中心に簡単な考察を行い、後の芸術は紹介しないか、紹介しても簡単に触れる程度に止めます。 合衆国、西欧の皆さんは疑問に思いこう質問するでしょう「この芸術はお辞儀ばかり、慇懃な態度ばかりだ!くだらん!どうしてこんな事をするのでしょうか」
 「一杯の抹茶、一柱の香の香気、一つの立華または盛り花を観賞するため、小さな茶会ではたった一杯の抹茶を観賞するため何故あそこまで仰々しくするのでしょうか」と。
 それにお答え致します。皆さんは、お猿さんの親分と、この親分には初対面の弱い小猿を一つの檻に入れると、親分はまず自分の体を低くして小猿に自分を小さく見せ、まず相手の恐れを取り除き和を計る様子をそんな実験を見た事は無いでしょうか?
 これは人間関係にも有効な手段と日本の人は考えました。弱い相手にはまず自分を小さく見せて相手の恐れを取り除き和を計る目的と
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逆に大変強力な社会的実力を持つ実力者からの悪意を避けるため服従しましたと言う意味を態度で現し、この人々とも和を計る両方の意味を、人間関係を円滑に進めようと言う意味を持つのです、まずこれによってお客様に和の心を現すのです。この考え方を発達させ体系化させたものが礼法と考えられます。
 また礼法は躾と言う考えを大切にします、躾と言う漢字は身と美と言う字が合わさって出来た物でしょう、これをもう少し詳しく説明すると、何の作為もない日常の動作(身)を非日常的、芸術的動作(美)によって或る作為の加わった日常動作に高める、洗練させる意味を現していると言えます。
 お辞儀は和の出発点で、それによって和を計る事と、この人間関係の基本である大切な行為、お辞儀をへなへなとする人はあまり居ない事を見ても分かる様にお辞儀によって躾と言う教育的意味も促進しようと日本の人は考えたのです、西洋の皆さんには、日本の人のこの願いから慇懃と感じる程にお辞儀を生活の中に取り入れたと考えて欲しいのです。 しかし、合衆国と西洋の皆さんは「それにしても何故まるで人を恐れるかの様に慇懃に礼法を行うのですか?ロケットが飛ぶ20世紀に礼法とそれを基調とする数寄屋芸術は、こんな一見、不合理な動作の繰り返しを多少の意味が有るにしても、迅速でない礼法を何故日本の皆さんは行うのでしょうか?また礼法なら西洋、世界の至る所に公衆道徳マナーは存在する、芸術を紹介する場ならサロンが今も西欧に有る、そんな時代の中で日本の皆さんが生み出した礼法はその礼法を基調する数寄屋はどの様な意義、存在価値が有るのでしょうか?」と言われるでしょう。
 ではまず日本の礼法についてもう少し詳しく例えを使って説明して参りましょう。
ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスは熱心な占星術信者である。帝は占師に運勢を占わせるのはロードス島の絶壁の突端に建つ城の塔の中であった。
 占う時は帝と占師と一対一で占わせるのが常であり、占い終わって帰路に着く占師は帝の配下の屈強な奴隷に絶壁の下の海に突き落とされて殺されるのである。
 一体何人の占師が殺されたかは知らない、占師は職業上帝の隠し事を聞く、その事が占師の命を奪うのである。何と言う恐るべき君主であろう。
 また別の君主の話、韓非子の説難編にこんな話がある。昔、衛国に王に愛された彌子瑕と言う人物が居た。或る日、母が病気だと彌子瑕に告げる物があった。彌子瑕は王の車に臣下が乗る事が罪になると知りながら車は速度が早く母に早く会いたい一念で王の車に乗り母を見舞った。王はそれを咎めるどころか「自分が罰せられるのも恐れず何たる親孝行でありましょう素晴らしいではありませんか」と帰って褒めた。
 また或る日、王と二人で果樹園に居た時、彌子瑕は衛君に自分の食べている桃を半分差し上げた。すると衛君は「彌子瑕は自分も旨いと感じただろうに、その旨さをも忘れ、わたくしを愛するあまり、桃を半分くれたのです何と言う忠臣で有りましょう」と上機嫌でした。                  
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