第2章 美と天才

芸術の技術より職人の生み出す生活の技術の方が実際には役立つ、時に世界の歴史さえも変える。
 例えばルネッサンスに生み出された火薬、羅針盤、活版印刷機の三大発明の方が、それ自体には精神的意味は無いかもしれないがルネッサンスの巨匠の芸術技術によって生み出された精神的意味のある芸術作品より歴史を変えたのです。
 こう考えると生活と言う一番大切な事を考えると芸術は一種の偏った技術で奇形の技術であり、美の欲望よりも生活の便利さを求める欲求や富みへの欲望の方が歴史を一変させ芸術の欲求や技術は物の役に立たない技術です。
 例えば羅針盤、14世紀アラビア人の技術を欧州人が利用し地理上の発見に大に貢献した。欧州の人々はこの器具を使って地理上の大発見を次々に成し遂げる。
 オスマントルコ帝国が陸路を塞いだため生み出されたと考えられている、これらの航路を「実は東方見聞録の黄金郷日本の記事を見て欲に取り付かれた欲惚けが発見したのさ」と冗談で語る人は今も多い。
 しかし東洋の航路の発見は莫大な富みや植民地を欧州に与えた事は紛れも無い事実です。幸い我が国はこの時代に欧州の植民地に幸運にも成らなかった。我が国に直接、侵略の触手を延ばそうとした例は鎌倉時代に元朝があったのみであった。
 そして元が我が国を侵略したとしても我が国の文化に対し歴史的に大した影響は無かったかもしれないと考えるのは大方の意見です。
 もし皆さんの欧州が日本を植民地にしていたら我が国の文化そんな物は無かったに等しい物になったであろう。そしてここに昔の欧州から来た宣教師の手紙の一部を紹介しよう「総督閣下に、兵隊、弾薬、大砲、および兵隊のための必要な食料、1,2年間食料を買うための現金を充分備えた3、4艘のフラーガータ船を、日本の、この地に派遣していただきたい」(1585年3月3日付)また「もしも国王陛下の援助で日本の66ケ国全てが改宗するに至れば、フェリベ国王は日本人の様に好戦的で冷悧な兵隊を得て、一層容易に中国征服を成就する事が出来るであろう」(同左)。
 この様な宣教師の態度を暗黙の内に知っていた日本の権力者、豊臣秀吉は、どう言ってどう言う態度を取ったか。「彼等(バテレン)はキリシタンとなった者を団結せしめ、 キリシタンは皆パーデレを尊敬し心服してゐる故、時を待って天下の君に謀反する事は 容易であり、大なる戦争が起こり日本はこれに苦しむであろう」と。そしてキリシタン 追放令を出すのです。
 権力者豊臣秀吉は晩年には欲惚けの朝鮮半島侵略者に成り下がった。しかし欧州のこの政策は欧州の植民地全ての政策と言っても良い。
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日本は幕末まで鎖国を続け壌夷を訴え続けキリシタンを徹底的に弾圧する。日本だとて侵略者である事は欲惚けの朝鮮半島侵略者に成り下がった権力者豊臣秀吉を見れば明らかであるから何も欧州のこの侵略政策を避難など、わたくし達には出来無い「どの面下げてそんな事が言えるのか」と言われるのが落ちだ。
 しかし、我が国の為政者は非常に欧州を恐れた。確かに欧州の民主主義は素晴らしい物です、共産主義も大変な経済理論です、基督教も素晴らしい、しかし、それを広めたのは欧州です。とうとう地理上の発見は世界を欧州的傾向一辺倒にした。
 その後の産業革命によるあらゆる分野の技術革新は尚更、欧州文化文明を世界最高の 文化文明であると言う地位に押し上げるのです。
 あの眠れる獅子と言われた当時の世界の超大国、清朝でさえもその例外にはなれなかった。ただ、世界に欧州と一線を画する文化圏が存在するとすれば、恐らくそれはイスラム文化圏のみであろう。
 西の諸国は世界を席巻した、我が日本も西の偉大な席巻の前にはとうとう無力であった合衆国に敗北したのである。そして我が国でも著しい欧州化である、地球規模で見れば 西欧州の小さな範囲に生まれた文化、文明、芸術、習慣は殆どの世界の地域を埋め尽くしたのです。
 そんな世界の趨勢にあって「この極東で発達した、この数寄屋芸術の意義は?」と皆さんは問うであろう「その意義は説明を受けて或る程度分かった」と皆さんは言うであろう、「だが芸術だって欧州にもっと圧倒的に素晴らしい物がある」
 「心の平安を得るのならフロイド氏の精神療法もある。わたくし達の偉大な化学が生んだ精神安定剤もある。美術館も芸術を楽しむ所なら現にサロンもある」
 そしてこうも言う。「確かに数寄屋芸術を認めよう、ではこの圧倒的欧州文化、文明に対し数寄屋芸術の行為は一体いかなる意義を持つのであろうか?」と皆さんは言うであろう、また皆さんは、なを、いらふて言う「だいち生活の便利さを求める欲求や富みへの欲望が生み出した世界を支配する科学文明に威敬の念を持つべきである、それなのに数寄屋芸術の美になどにどうして敬意を払えようか」と。
 それに対しての答えは実につまらぬ行為である。数寄屋芸術の部屋での美の観賞の態度その物です。
 数寄屋の中で書や美術工芸品に接する時、わたくし達は手を着き王侯に接する様にして礼を以って観賞する。皆さんが先程そこまで諂わなくともと言った諂いの術とさえ感じられる我が国の数寄屋の礼法を以て、たかが美術品に礼の態度を以て接するのですと。
 見聞が広くないから分から無いが美術品に対してこれ程まで敬意を表する芸術を世界のどこにも見た事はありません。
 では、我が国の人々がこれ程まで敬意を表する美とは一体、その本質は何なのかを考察して参りましょう                  

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