哀れなる魂  破の段 第4部 我が人生の輝ける日

とも。しかし戦争はどうだ。青春と言う花を命を散らし踏んづけた。

 基督様だって言っているではないか「野の花がどうして育っているかを考えて見るが良い働きもせず紡ぎ

もしない。しかし貴方がたに言うが栄華を極めた時のソロモンでさえこの花1つ程着飾ってはいなかった。

」小さな花の命の素晴らしさは、あの栄華のソロモンさえもかなわないと基督は言っているのだう。まして

人の命は青春はそれを考えると俺はたまらなくなくやり切れなかった。

 海軍 少尉 瀬古義孝 神風特別攻撃隊第一正気隊 東京帝国大学出身 百里原空より昭和20年4月6

日金曜日に少尉 須賀芳宗 少尉 岩崎久豊 少尉 宛達卓也 上飛曹 桐畑小太郎 二飛曹 管沢健 二

飛曹 弥永光男ら6名と共に飛び立ち2度と再び帰らなかった。瀬古の行年は23歳であった。

左は特攻機を見送る少女たち、沖縄ではその少女たちが亡くなった右はひめゆりの塔の慰霊碑
ひめゆり平和祈念資料館 - HIMEYURI PEACE MUSEUM 
YouTube - アメリカからみた【沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊(Okinawa)】第二次世界大戦

 老人はこの事を話終わると涙をポロポロ流しながら泣いていた。私はなんだか哀れになり黙っていた。そ

うしている内に老人は気を取り直して話始めた。

 俺の人生にも少しは良い時も有った少しそれを聞いてくれ。あれは昭和25年4月の頃だった。俺はその

時やっとタイピスト学校の仕事も軌道に乗り掛けた時、俺はたまたま自宅で休んでいた。そんな時、■■の

叔父の弟がやって来た。俺のもう1人の叔父、義理の叔父は建築屋だった。

 俺の顔を見るなり「助かった仕事を手伝ってくれ若いのが急に病気になりやがってあと1人、手伝いが欲

しかったんだ長井さんの家だ。ここからだったら目と鼻の先だお前の家が近所だから、うまい事、居るんじ

ゃねえかと思って来たら案の定お前が居たんで助かったよ」 俺は1日アルバイトをする事になった。長井


亜歴山の父は高名な薬学者で医者でもあった。亜歴山の父がドイツに留学して帰る時「君は、
何か忘れ物を

しているんじゃ無いかね」と教授に言われた。彼の恋人の事だった。亜歴山は母はドイツ、父は日本人の混

血だった。だから亜歴山の風貌は西洋人その物だった。

 6ケ国語を操り外務省に勤め色々な国の外交官になり最後は総領事にまでなった。恐らく混血で無かった

ら大使になっただろう。戦前にも俺は手伝いでこの家に来た事がある。戦前に来た時この紳士は俺のことを

気にいったらしい事が雰囲気で分かった。

 亜歴山氏に再会した俺は挨拶をした。この紳士は俺の事を覚えていて俺にこう聞いた。「東京帝国大学は

卒業したかね?」「いいえ、色々事情が有りまして帝大には入学しなかったのです」そう聞くと紳士は顔を

曇らせながら「それは残念だね私は帝大の英文科を卒業したのだが、良い後輩が出来ると楽しみにしていた

のだが君の叔父さんから一高を無試験で合格したと聞いて君なら良い学生になると思っていたのだが、一高

にも行かなかったのか?」「ええ」「その後、戦争が有って私も忙しく君がどう成ったのか知らなかった残

念だったね」「心に留めて貰っただけでも嬉しいです」と俺は答えた。

 それから今の事業の話などを亜歴山氏に話した。亜歴山氏はその日、大層機嫌が良く叔父に断り俺を家の

中へ案内した。「叔父さんの仕事は少し休憩して私の話相手になりたまえ」と言った。

 そして亜歴山氏はドイツ人である母親が胆石症で亡くなった事、それを亜歴山氏の父が手術をした事を話

してくれた。俺に母の体の中に有った胆石を見せてくれた。ビリルビン結石であった。

 また父である長井博士が恐らく軍の命令であろうと思うがヒロポンをエフェドリンから合成した事を大層

、後悔していた事も話してくれた。長井博士は「あれは
かった。あれは拙かった」と悔やんでいたそうだ。

 そんな話が終わると亜歴山氏は物置を自分で片付けると言い出した。初代ワシントンハイツ総領事の亜歴

山氏に汚れ仕事は気の毒だと思った俺は「私がやりますから、どうぞ休んで下さい」と言った。しかし氏は

自分でやるから良いよと言い、あそこは明りが無いからと夫人にカンテラを持って来させた。

 亜歴山夫人は勝海舟の孫でそう言えば、昔写真で見た海舟の顔に似ていた。やがて俺は■■の叔父の仕事

を手伝った。そして小1時間が経った頃、1万
坪のはじにある物置の方で女の「誰か来て!」と言う悲鳴が

聞こえた。

 俺達数人の作業者が駆け付けて見ると物置が燃えている。悲鳴を上げたのは夫人だった。夫人は「中に主

人が居るんです。こんなに焼けているのに出て来ないんです」と言った。 俺は直ぐ近所にある水道のホー

スで体中に水を浴びると炎の物置へ飛び込んだ。亜歴山氏は動きたくても動けなかったらしい。

俺は直ぐ氏を抱き上げて外に出た。 助けた後、亜歴山氏は「木の椅子を使ってカンテラで上の方を見てい

たら椅子が倒れ床に落ち、倒れて気を失った。

気付いて見ると腰が抜けて動けないし下に落ちたカンテラの炎が回って煙が立っているし危うい所だった。

本当に有り難う君は勇気の有る若者だ私の命の恩人だよ」と言った。そして火事は物置だけで済んだのだっ

た。

前頁−47−次頁
目次へ戻る