哀れなる魂 破の段 第4部 我が人生の輝ける日 |
とも。しかし戦争はどうだ。青春と言う花を命を散らし踏んづけた。 基督様だって言っているではないか「野の花がどうして育っているかを考えて見るが良い働きもせず紡ぎ 海軍 少尉 瀬古義孝 神風特別攻撃隊第一正気隊 東京帝国大学出身 百里原空より昭和20年4月6 |
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左は特攻機を見送る少女たち、沖縄ではその少女たちが亡くなった右はひめゆりの塔の慰霊碑 | ||
ひめゆり平和祈念資料館 - HIMEYURI PEACE MUSEUM YouTube - アメリカからみた【沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊(Okinawa)】第二次世界大戦 |
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老人はこの事を話終わると涙をポロポロ流しながら泣いていた。私はなんだか哀れになり黙っていた。そ 俺の人生にも少しは良い時も有った少しそれを聞いてくれ。あれは昭和25年4月の頃だった。俺はその 俺の顔を見るなり「助かった仕事を手伝ってくれ若いのが急に病気になりやがってあと1人、手伝いが欲 6ケ国語を操り外務省に勤め色々な国の外交官になり最後は総領事にまでなった。恐らく混血で無かった 亜歴山氏に再会した俺は挨拶をした。この紳士は俺の事を覚えていて俺にこう聞いた。「東京帝国大学は にも行かなかったのか?」「ええ」「その後、戦争が有って私も忙しく君がどう成ったのか知らなかった残 それから今の事業の話などを亜歴山氏に話した。亜歴山氏はその日、大層機嫌が良く叔父に断り俺を家の そして亜歴山氏はドイツ人である母親が胆石症で亡くなった事、それを亜歴山氏の父が手術をした事を話 また父である長井博士が恐らく軍の命令であろうと思うがヒロポンをエフェドリンから合成した事を大層 そんな話が終わると亜歴山氏は物置を自分で片付けると言い出した。初代ワシントンハイツ総領事の亜歴 亜歴山夫人は勝海舟の孫でそう言えば、昔写真で見た海舟の顔に似ていた。やがて俺は■■の叔父の仕事 俺達数人の作業者が駆け付けて見ると物置が燃えている。悲鳴を上げたのは夫人だった。夫人は「中に主 俺は直ぐ氏を抱き上げて外に出た。 助けた後、亜歴山氏は「木の椅子を使ってカンテラで上の方を見てい 気付いて見ると腰が抜けて動けないし下に落ちたカンテラの炎が回って煙が立っているし危うい所だった。 |
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