哀れなる魂  破の段 第4部 我が人生の輝ける日

 でも、こうも思うのだ。もし瀬古が、あの時の学生達、戦死した学徒の人達が生きていたら今の日本に取

ってどれ程の財産に成っていただろうと。俺はそれを思うと悔しくなる。

 学徒出陣その数、約13万、その中には消耗品として扱われ、再び帰らぬ物が多かった。俺がそんな事を

考えていると。後ろから女性の声が聞こえた。

 「九段の桜の下はここですか?私は、或る人と約束をして来たのですが」俺は聞いた。「その人はどこの

人なのですか?」「この人です。私に、これをくれた人です」と言って俺にそれを見せた。

 それは血の跡のある航空隊のマフラーと手帳だった。その手帳を何気なく見ると歌が書いてあった。「青

葉燃ゆ春の香りは
、今の聞か間欲しさに」と歌があり「九段の桜の下で逢おう。瀬古義孝」と書いてあった。

「これは瀬古のだ!」「え!瀬古さんの」智恵子も俺も驚いた。

 瀬古の歌は春の香りや、青春は不如帰と同じ様な物だと言いたかったのだ、瀬古の乗った戦闘機は不如帰

(帰り去るに如かず、帰り去るには及ばない)の言葉通り帰らなかった。そして昔から不如帰一声
と言って

、一声聞ければ幸運な鳥と言われる、青春はこの不如帰に似て
いる。

 それを聞き返そう思い出そうとした時は無くなっている物なのだ。瀬古には、その不如帰の声の様な青春

をもう一度、心の中で思い出す暇
さえ無かった。今の一度聞か間、欲しさに。そんな歌に瀬古の短い青春へ

の花の香りや、たった一声しか聞く事が出来ないと言う不如帰の声
にも似た青春への思いが込められている

気がした。玄人が見れば笑うであろう歌も瀬古の気持を思うと涙が出た。

 俺は女の人に瀬古との関係を聞いた。瀬古と彼女は、彼女が看護婦で前線で病気になり軍の病院に送り帰

された時、たまたま胸を病んで病院にいた瀬古と恋仲になったと言った。しかし瀬古は胸の病を押して攻撃

に加わったと言う。

 女は言った。最後にあの人の特攻隊を見送る時、私は悲しみが胸に迫って、あの人の飛行機に向かって走

り寄り叫びました。「行かないで!」しかし飛行機のエンジンの音に叫びは消され回りの兵隊さんは私を押

さえて飛行機のそばにも寄れませんでした。あの人の顔は私の涙で視界から消えて行きました。やがてぞく

ぞく飛行機は飛び去って行きました。あの人は僅かに咳き込みながら咳をマフラーで押さえ、手帳に走り

書きして私にマフラーと手帳を投げて微笑み敬礼し飛行機を走らせ、遂に帰りませんでした。………

「何と言う偶然だろう」と俺は言った。智恵子は「きっと瀬古さん来ているわ、さっき貴方があの桜の下で

見た幻はやっぱり瀬古さんだったのよ」と言い3人は桜の下を見た。すると「あ!」と3人は同時に声を上

げた。確かに瀬古は秀麗な姿で桜の下に立っていたが、直ぐ散る花と共に見えなくなった。恐らく瀬古に逢

いたいがために俺達3人が同時に見た幻だろうが。しかし俺は信じた。俺達4人は約束通り九段の桜の下で

逢ったのだと言う事を。
 

靖国神社 靖国神社のおみくじ御遊び
 靖国神社の桜と海軍軍人のイメージ中は神社のゼロ戦(本木雅弘さん色男なのでイメージに使ってしまった。)神社は戦死した軍人の御霊をまおまつりしている様です。私の血縁も戦死しているので千鳥が淵戦没者墓苑とともにたまに行きます。夏には御霊祭りが有り或る時お年寄りが皆に冷たい飲み水を配っていたので「有難うございます」と言て飲むと「来てくれるだけで有難いんだよ」と言っていました。先の大戦中に多くの戦友が亡くなったのを体験され皆に鎮魂をお願いしたいのではと思いました。神社は内外から色々な批判が多いのですがこういう体験をしてしまうと是非は別にして「さあ皆で行きましょう」とも言えませんが「じゃつぶしちゃえ」とは可哀そうで私にはとても言えません。
 この付近は今はもうとっくに無くなってしまった戦時中の面影をほんの少し見る事が出来ます。左は旧軍人会館(九段会館)で右は旧近衛師団(国立近代美術館工芸館)何れもこの小説を書いた元ネタを聞いた或る人■■に聞いて知った場所。
左は九段会館 (旧軍人会館226事件の戒厳司令部)   東京国立近代美術館−工芸館(旧近衛師団)
千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]
 私がこの前、千鳥ケ淵戦没者墓苑に行った時、下段一番右の写真の立正佼成会方が慰霊を行ったとの記録を見たような気がしましたがその記憶は正かった様です。私に教えてくれる人が有りましたので紹介のwebを紹介します。色々な方が慰霊に見えられるようです。

俺は感極まって言った。「大日本帝国よ青春と言う花をよくも散らせたな。花が摘み取られる時に言うだ

ろうか?痛いと。小さな虫や動物も捕らえようとすると逃げる。花、薄命な物、お前は逃げられない。大日

本帝国お前はこの青春と言う短い春を、なにも抵抗出来ない青春の花々を踏み躙り破壊したのだ。許せん」

と俺は涙をポロポロと流しながら叫んだ。

 すると智恵子は俺を抱き締めて言った。「或る本にこんな事が書いてありました。『彼等、花は人間の様

に卑怯物では無い花によっては死を誇りにする物も有る。確かに日本の桜花は、風に身を任せ片々
落ちる時

これを誇る物で有ろう。吉野や嵐山の薫る雪崩の前に立った事の有る人は、誰でもきっとそう感じ
たで有ろ

う。宝石をちりばめた雪のごとく飛ぶ事しばし、また水晶の流れの上に舞い落ちては笑う波の上に身を浮か

べて流れながらいざ去らば春よ我らは永遠の旅に行くと言う様である』…………貴方、花は青春の花は卑怯

物では無いのです。幾ら青春を、花を無理に散らしても人間の愛や友情まで散らすことは決して出来ないの

です。春を誇らずに散る花の心の潔さ花の気高さをどうしてそれらを踏み躙る人間が分かるでしょうか。花

は死によって永遠に生きるのです卑怯でないから美しいのです」

 俺は智恵子の教えてくれた言葉をくり帰した。「いざさらば春よ青春よ我らは永遠の旅に行く」と。とこ

ろで俺は昔、華道の稽古に言っていた時があった。

何10人という女性に囲まれて男は、たった俺1人だった。森有礼が茶道と華道を女性の学校教育に取り入

れてから茶と花は女性の専門になってしまった。俺
は香、茶、花が好きだったので女に囲まれて、渋々花を

生けていると、隣から品の良い婦人が俺の生けるのが見ていられないと言う風情で天の枝はこのくらい地の

枝は……………人の枝はと遂に全て生けてしまった。するとそこに1つの素晴らしい小宇宙が出来ていた。

後で知ったのだが、その人は先生でやがん
の。先生は後で皆にこう話していた。 「花が咲く時にはそこに全ての宇

宙の生命が宿ると」また「美しい花があれば人は誰もそれを踏まず避けて通る」

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