哀れなる魂  破の段 第4部 我が人生の輝ける日

そんな事件の後から1ケ月程経った昭和25年5月頃、長井さんから電話があり、この前の礼がしたいと言

って来た。長井さんに早速会うと亜歴山氏はこう言った。

 ※薬学者長井氏は実在の人物で有名な人らしい亜歴山氏も実在、或る人■■から聞いて虚構を作りました。長井博士が失敗した。と後悔していたのは実際の話らしい、ただそれは生薬麻黄(マオウ)からエフェドリンを合成したことだと私は思っています。■■は誤解している。これは私が■■製薬の研究員(ただの使い走り)だった時、岩田研究員から聞いた話からの推測です。この物語は或る地域を仮定して作っていますがそれは想像にお任せします。亜歴山氏には弟さんも居てウィリーさんと言っていましたがそれは真実かどうか私には解りません「亜歴山氏はどんな風貌の人なの?」と聞くと昔、野生の王国と言うテレビに出演していたパーキンス博士に私はそっくりだと思うと言っていました。だとすれば大層品のいい立派な紳士です。下の三枚がパーキング博士、■■は亜歴山氏は亡くなって鎌倉霊園に墓所が有るとか言っていましたがそれも真実かどうか?何れにしても虚構の物語です。■■製薬の研究員

 「君は命の恩人だから君の役に立つ事を話してみよう、ただしこれは私の独り言だ」と言って話始めた。

「私は財産も有るし金儲けや投機には興味が無いから、この情報を利用しない。もう一度言うが、これは私

の独り言と思ってくれ、この事を誰から聞いたなどと決して口外しないでくれたまえ」と後ろ向きになると

「もう直ぐ1ケ月後ぐらいに朝鮮と米国とに大規模な戦争が起こる」とだけ言った。「君ならこの意味が分

かるだろう独占資本だけに儲けさせるのは癪だからね」そう言うと今まで俺に背を向けて話していたがまた

俺の方へ向き直り品の良い笑顔で俺を見詰めた。「さあ帰って直ぐ考えたまえ若者よこれが命掛けで私を炎

から救ってくれた君への礼だ」俺は丁寧に礼を述べ長井氏宅を後にした。

 亜歴山氏の言葉は直ぐ理解出来た。ワシントンハイツ総領事である亜歴山氏はどこからか確実な機密を聞

いたのだ。米国は米国本土は勿論、日本にも大量の軍事物資を調達するに違いない戦争がいかに物資を消費

するか、それは戦争に行った俺には良く分かっていた。鉄鋼、火薬類の化学工業、これらの株を事前に大量

に買って置けば結果は明らかだった。

 昭和22年の有価証券処分法で証券は俺達でも買える、それまでは三井、岩崎が日本の証券の80%を

握っていた。よし勝負して儲けよう。俺は智恵子と相談して智恵子の実家の不動産を担保に金を銀行から借

りようと思った。

 昭和20年12月9日と21年10月21日に公布された農地改革によって、かなりの不動産を失ってい

た智恵子の実家の叔父、叔母も
戦後、智恵子の幼い弟を残して亡くなり今は彼女が不動産を持つ権利が有る

と俺は思っていた。確かに俺は智恵子と結婚しているが人の財産を当てにする気は無いので智恵子が首を横

の振れば、俺は自分の少しばかりの事業の資産を担保に金を借りて勝負するつもりだった。

 智恵子は首を縦に振った。俺の資産と智恵子の不動産を担保に銀行から借りた金で俺は鉄鋼の株を買った

。昭和25年6月25日、朝鮮戦争は始まった。俺は6月25日までには全ての金を鉄鋼株に注ぎ込んでい

たので大儲けをした。日本経済はこの特需景気で蘇った。俺は特需景気で儲けた金で学校の規模を拡大した

 この頃、珍しい客が現れた。■■と言う中国時代の戦友だ。奴は大層ほら吹きな奴だ。あの国民軍との徐

州作戦にこいつは出た。その時、敵弾雨降る中をスコップを顔の前に楯の代わりに敵弾を防いで突撃したと

俺に自慢げに話していた。俺は思った「嘘、着きやがれ!」と、こいつから徐州作戦の生き残りのバッチが

北支の部隊では権威が有ったと聞いたんだ。

 そして、奴は図々しく言った。「ぶっちゃけて言うが金を貸してくれ今度、区議会の選挙に出るんだ」と

。つまり選挙資金を借りに来たのだ。

 俺はこの時、事業にも脂が乗っていたので金を貸し選挙運動も手伝った。奴は区議会に当選し次は都議会

にも当選した。勿論、俺は奴を助けた。その事が俺の資本を殖やす事に成った。■■は議員の立場を利用し

て大規模な道路工事の情報を入手した。

 この情報は極秘であった。俺達2人は、道路予定地を安く買収した。そしてまた大いに儲けた。俺はそう

して事業をどんどん大きくして行ったのだった。事業は面白い様に発展して行った。子供が雪山で小さな雪

の塊を作り、それを雪が積もった坂に転がすと、どんどん雪の塊は大きくなり雪達磨が出来る様に俺の事業

も大きくなる一方だった。

 俺は大きなビルを建てた。俺は新しく建設されたビルにさっそうと乗り込んだ。この日が俺の、我が人生

の輝ける日だった。さらに俺の事業の話をしよう。前の説明では分かるまい俺の金儲けの才がいかに冴えて

いたかは例えば…………。ところが老人は急に言葉を詰まらせた。そして言った。

 「止めよう………なぜなら、あの英雄、源義経の事を書いた義経記でさえ義経の成功の部分はほんの数行

ではないか、あの英雄中の英雄の成功がほ
んの数行なのに俺の様な奴の成功をこれ以上話す必要はあるまい

、まして自慢高慢馬鹿の内と言うしな」と言って話を止めてしまった。

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