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哀れなる魂  破の段 第2部 或る無名戦士の記録

女は俺の知っている女だ。俺が東京にいた時、新宿2丁目で俺の相手をした女に違い無い。この前、チラッ

と顔を見たんだ」俺は口から出任せを言った。俺は日本の女を相手にしたい訳ではなかった。妙に日本の女

が懐かしく、ただ話をして見たかった。

 朝鮮の女は俺を手招きして慰安所の片隅にある部屋に案内した。扉を明けると女は僅か50燭の薄暗い電

灯の物置の様になっている畳の上に布団を引いて俺に背を向けて寝ていた。俺達に気付いて身をを起こし女

は振り返った。乱れた裾とその顔を俺は、はっきりと見た。見ないほうが良かった。

 女もやはり俺に気付いた。布団の上に座りながら、くるっ、と俺に背を向けた。その僅かの間に彼女は、

だらしなく、はだけた寝間着の胸元を隠す様に手で掴み隠しながら背を向けたのである。この女性は未だ女

だった。乱れた花でも少しでも美しく見せたい女心を俺は悟った。

 「帰って後生だから……私が誰だか貴方には分かっている筈よ。貴方は忘れたかもしれないけど、こんな

所に身を沈めて日に10人も男に抱かれていても私は貴方の事は思い出したわ。もう男に抱かれたって、何

も感じやしない。でも、たまに燃えてしまう事がある………」「よせ!そんな事は聞きたく無い」俺が凄い

剣幕で怒鳴ると朝鮮人女性は姿を消した。

 イメージ画像は映画、兵隊やくざの女性(淡路恵子)役組織の実体は行ったことが無いので私には不明です。しかし噂ではその実体は非人間的と聞いたことも有り恐らく歴史の暗部だと筆者は思う。悲劇としてとらえて物語を展開しました。違う解釈も勿論存在します。

 2人きりになった部屋で女は続けた。「聞きたく無くたって聞かせるわ」と女は俺の方を向いた。その女

の顔に一筋の涙が流れていた。「あたしが、こんなあたしが燃える時それは貴方に似た男が来て私を抱いた

時その時、私も未だ女だったて思う」そう話をした女は、俺を裏切った清原薫だった。

 何という運命これが俺と薫との残酷な再会だった。薫はまた苦しそうに喋った。「初めは、もう少し良い

所にいたんだけど内地の遊郭も、ここと同じ生理の時に塩水をガブ呑して半年、1年もすれば生理が止まっ

て、日に10人も将校の相手をして体を壊して、ついにここまで来たのよ」「もう良い薫、喋るな」茫然と

立ったまま聞いていた俺は薫の傍に寄って薫を寝かそうとした。

 薫はいきなり俺に抱き着いた。病人にまして女に、どうしてこんな力が有るのか不思議に思える程に強く

俺を抱いた。俺も薫を抱いた。薫は「夢だったの、こうして抱かれるのが」俺は自分の心の中に人間の心を

失ってしまったと思っていた。そんな薄情な俺の眼にも涙が流れた。

俺は黙って薫の体を抱いてやった。何時までも、何時までも、何時までも、ただ黙って静かに抱いてやるつ

もりだった。暫くそうしていると昔ながらの幼い時の薫との思い出がありありと走馬燈の様に走っていた。

 すると薫はその思い出を止めて沈黙を破る様に「そこの柳行利を取って」と言った。言われた通り薫の寝

床の隣に有る柳行利を取った。「開いて見て」俺は行利を開けた。見ると、なにやら風呂敷包みに着物が入

っているらしかった。「その下に大切な物が有るの」その風呂敷包みの下にまるで宝物の様に丁寧に紙で包

んである物が有った。その紙を明けると中に典雅な和紙の
畳紙で包んだ物が有った。「これは!」 俺は昔

の事を思い出した。或る時俺
は薫の家に土産を持って行った。

「薫ちゃん」「なあに」「薫って良い名前だね」「どうして?」「だって凄く文学的、詩的名前だ。伊豆の

踊り子の主人公も薫、源氏物語にも薫って名前が出て来るよ。これ親父が前に京都に行った時、買って来て

くれた物だ香木だよ薫ちゃんの名にちなんで贈物で上げる、でも誰にも言ちゃ駄目だよ」と言って香木
を上

げた。 俺はその事を忘れていた。しかし、薫にとっては大切な大切な思い出だったに違いない。俺はおよ

そ風流などに縁の無い男だ。俺
の親父もそうだ。この香木は親父の京都土産では無く実は無くなった祖父、

俺を可愛いがってくれた祖父の大切にしていた銘香で名を「■■」と言う。祖父が聞香炉を使って香木を聞

いていても風流、何ぞに縁の無い俺は聞かせてくれとも言わなかった。

 しかし或る時、赤坂區霊南坂町か葵町に有った大蔵集古館を1人で見に行った時の事。ここには美しい普

賢菩薩があり、それを見た。その普賢菩薩を見た感動も醒やらぬ内に館内で香会を催していた。和服を着た

美しく若い香元を囲み
証歌は何であったろうか覚えていない、ただ有名な喜選法師の歌ではない歌を証歌に

して組香の優雅な遊びをしているだろう事は凡
と風流と正反対な婆娑羅な俺にも分かった。

 また、その光景が今、見て来たばかりの普賢菩薩の神秘的な雰囲気と重なってか薄暗い館内は、その会を

一層、美しく神秘的で華やかでしかも優雅に見せた。 俺はこの人々が聞いている香はこの風景の様に優雅

な物なのだろうかと思って急に香を聞きたくなって座っている品の良い老婦人に頼むと、快く聞かせてくれ

た。聞香炉
の灰の火窓に銀葉が乗り、その上に黒い小さな香木が微かに泡立ち一筋の細い香気を漂わせてい

た。その香

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