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哀れなる魂  破の段 第2部 或る無名戦士の記録

中将の回りには参謀長、関谷大佐を初めとする佐官が並び、尉官の人達の一部は中将の言葉を、しきりにメ

モしていた。中将は「中国の人達に対しては決して殺してはならない、家を焼いてはならない、婦人を犯し

てはならない。この3つは特に厳重に守って欲しい願いである………」と俺達兵に戒めた。

 北支のこの辺は、未だ日中友好地区だったからだろう。しかし三光作戦と言う言葉を俺は知っていた。三

光とは、殺す、焼く、犯す。または焼光、焼き尽くす、
光、奪い尽くす、殺光、殺し尽くすの意味らしい、

そんな作戦を帝国陸軍は別の地区では実行していたのだ。俺には
聖戦の言葉はとっくに空しくなっていた。

 ところで俺は師団長や佐官や尉官の立派な事を話したが、将校達は確かにかっこが良い服装などは特に良

い、それもその筈で将校達は体に合う軍服の仕立てが出来る。俺達兵隊は支給された物を多少きつかったり

、だぶだぶでも、そのまま着るだけ。そして将校は馬に乗り兵隊は肩に食い込む重い背嚢を無言で背負う。

無言になるのは勿論、重さが辛いからだ、そしてその辛さに耐え戦うのだ。

 しかし、中隊長は軍隊ではやはり辛い役だが。要するに軍隊は兵隊が辛いと言う事だ。階級社会は敬礼さ

えも上下で違う。師団長は捧げつつ直属上官には制止敬礼、普通は下位の物が上官に敬礼をする。

 こんな社会だ「帰りたい、帰れない」と言って弱音の1つも言いたいが、だからと言って弱音や弱虫は許

されない例えば俺はトラックで部隊と部隊の間を移動中に喇叭
を吹いて来た八路軍の大軍に襲われた。紀元

に兵隊に支給される菓子や缶詰や暗号までかっぱらわれて命からがら全員逃げたが江崎と言う男は「助け

てくれ、助けてくれ!」と叫びながら逃げた。それから江崎は直ぐ転属になった。

 こんな軍隊生活で何時、命が落ちるか分からない、しかし俺は自分で言うのもなんだが、案外、勇敢だっ

た。戦闘の時、中隊長が「突撃!」と言うと。ピッ、ピッ、ピッと敵弾が近くから発射されたと分かってい

ても恐れず真っ先駆けて前進した。それが初年兵の強みだった。

 しかし、いわゆる1銭5厘の赤紙で臨時招集された招集兵で所帯を持っている兵になると。俺に「見て下

さいよ」と言って家族である奥さ
んと子供の写真を見せる。「可愛いでしょ今年3つになった女の子で」と

話ながら眼に涙が浮かんで、しまいにゃ、おいおい泣きだしやがる。聞いてるこちゃ可愛想になるけど何て

慰めりゃ良いんだか。

 そして戦闘に出ると俺達みたいに徴兵検査を受けて直ぐ入営した現役兵は「突撃!」と言うと勇敢だった

。しかし1銭5厘の赤紙の兵隊は例外無く。チョロチョロ、と旨く中国人の墓である土饅頭の
影に隠れたり

ためらっていた。無理も無い。可愛い妻に子供に会い
たかろう。それが人間の本心だ真実の人情なんだ。俺

は彼等を可愛想だと思った。後で知ったのだが昭和19年6月30日には国内では学童疎開が始まっていた

という日本に残したお子さんと奥さんはどうなっていたのだろうか学童疎開が始まっていたとの話を思い出

すと俺はそれを思わずにはいられなかった。

YouTube - やーさん ひーさん しからーさん -集団疎開学童の証言-

 次に失う物は命しか無い。そう思っていた俺にも、未だ失う物が残されていた。そして、それを失った時

は、確かあれは昭和19年8月25日から9月15日まで続いた
山東作戦が始まる1月程前。俺はこの頃

どの兵隊もする様に休日には慰安所へ行っていた。 軍隊の特飲街の慰安所に行く時、必
ず「突撃1番」と

書いてあり鉄兜
とあだ名されるコンドームを貰った。それは軍隊では戦傷公傷が1等病、内科疾患が2等病

として野戦病院で大切にさ
れる、ところが性病は最低の3等で入浴は最後、手拭きは赤く染めた物と言う酷

い扱いをされるのだ。

 その頃の相手の女性は、何と全て朝鮮ピー、つまり朝鮮人女性だった。「あんた男になるよ」、などと言

って俺達兵隊の相手をしていた。そしてここでも軍隊は階級の差を付ける。兵隊は朝鮮人女性、将校は日本

人女性が相手をするのだ。 或る時、同年兵が「おい貴様、珍しい物を見たぞ」と話しかけた。「何を見た

?」「それがなー慰安所で日本人の女を見た」「えー本当かよ?」「将校用のが兵隊用の慰安所にいたのか

?」「間違いねえ偶然、廊下で女と俺がぶっかったんだ。

その時女が『御免なさい』て言うんだ女は『ちょっと足がふらついちゃったもんだから』と言ったんだ。朝

鮮の女はポコペン言葉だ、ありゃ日本人だ、ただ最後まで聞けよ、ありゃ普通じゃねえぜ」「普通じゃねえ

、て言うと?」「ありゃ胸の病だぜ」「結核か!」「間違いねえ俺も相手になった訳じゃねえし店にも出な

いんだろう病み上がりの所にふらふらして俺にぶつかったて訳さ聞いた話じゃどんな良い女でも慰安所で病

気になったらただ死ぬのを待つだけらしいぜ、でなきゃ兵隊用の慰安所に将校用の女である日本人が居る訳

が無いからな、あの女もただ死ぬのを待つだけじゃねえのかな可哀想に、お前もこの女に会いたいとなんか

思うなよ病気が移ったら大変だから」「ああ」 しかし俺は、その慰安婦に会いたいと思った。その慰安所

へ行った時、相手はやはり朝鮮人女性だった。俺は朝鮮の女に「この慰安所に内地の女が居るだろう胸を患

っている」「そんな人居ないあるよ」「誤魔化ないでくれ、あの

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