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哀れなる魂  破の段 第2部 或る無名戦士の記録

がある。また、ある歌に「赤い夕日の満州に」と言う文句があるが俺は、その言葉は日本にいた時はピンと

来なかった。しかし、何と中国は広い「3キロ先に敵を発見」そして銃激戦、東京のどこに、そんな場所が

ある。東海林太郎の歌も本当なんだ。そして夕日の沈む太陽のでかい事ったら思えば遠い異郷に来たとつく

づく思った。

 さらに4月頃になると大砂塵が起こる防塵眼鏡が無いと目など開いていられない大地と言う表現がピッタ

リの大きな規模だった。

 そんな時、日本が懐かしくなる。そんな時に智恵子から手紙が来る。手紙が来た後に上官が聞くんだよ。

「お前には高等女学校に行っている従姉妹が居るんだってな年は、幾つで、……」と実に良く知ってやがる

。俺は親展で来る智恵子の手紙を封筒の糊を旨く剥がして開けて一部の物が手紙を見ているに違い無いと思

う。なぜなら一言も軍隊の奴に話した事の無い従姉妹の智恵子なる人物や、その年令や女学校の事など、な

んで他人が知っているんだ。

 勿論、逆に兵隊が手紙を出す事は許されていた。しかし、こちらから出す手紙は皆、検閲の印が押してあ

った。文面も「今、軍隊で元気で暮らしています元気です。これと言って心配な事は在りません、ではお父

さんも元気で」など簡単な内容しか書けなかった。 私的制裁がどうの上官に嫌な奴が居るとか、どんな作

戦で軍隊の移動計画がどうのなんて死んでも書けないのだ。当然と言えば当然の事だが嫌なもんだぜ書きた

い事も書け無いのは。

 「軍事郵便葉書」を今でも思い出すのだが葉書の1番上に右から、郵便葉書、と書いてあって今切手が貼

ってある所に「軍事郵便」その下
には線で枠があって、その枠の上の方に検閲済み。と印刷されていて下に

は検閲者の印が押してある。「与太郎、でこ助、脳足りんす」とか
「ふざけんなこの野朗!」と言いたいよ

全く。

 では、こんな軍隊に楽しみは、まるで無いかと言うと慰問劇団と言って演芸をする人が各部隊に回って来

る。俺はその時、先代、江戸家猫八と言う人を見て面白かったのを憶えている。

 食事もたまに美味しい事がある。それは第59師団師団長、細川忠康。この中将の襟章は金糸の地に上下

金モール縁星2つ着いている。

この指揮官は歩兵4個連隊、約1万人の砲兵、工兵、輜重兵など特科の連隊、大隊司令部の総指揮官と成っ

ている。その総指揮官が、この安
仙荘の中隊を見回る時は、なんだか普段から食事も良いんだ。

 しかし細川忠康中将が来る1〜2週間前になると普段は掃除もしない所まで掃除をするんだよ全く。飯が

良くたっ
て割に合わないよ。

 ところで人々は思うかも知れない。のらくろの漫画の様に頑張れば士官へ丁度、大閣豊臣秀吉が身分の低

い農民から大閣へ、漢の初代皇帝沛
も農民から漢の高祖になった様に2等兵が才覚が在れば師団長でもなれ

ると。でも、それは無い。 せいぜい俺達の様に2等兵から軍隊に入る奴は乙官、と言って2等兵から上級

に行ける制度も在るが、まさか師団長にはなれないのだ。

 あとは士官学校と言って軍人専門に育てる学校が日本には有った。さらに士官学校の上には陸軍大学が有

る。そこを出た人達が佐官や将官になるのだ。

 ところで士官学校出の士官と普通の学校を出た見習い士官とでは全ての動作に気合いが違っていた。敬礼

1つにも気合いが違っていた。例えば士官学校卒、確か名前は三の宮中尉だった。俺達は洗濯をしていた。

俺はふっと後ろを見ると三の宮中尉の後ろ姿が見えた。中尉はやはり、ふっと俺の視線に気付たのか、後ろ

を振り向いた。中尉はくるりっと振り向きざまに俺に敬礼をした。その気迫は大した物だったよ、そして敬

礼も惚々する程、美しかった。俺は洗濯なんぞ忘れて敬礼を返していた。この様に彼等は全てに気迫が違っ

ていた。

 確か記憶に間違いが無ければ2等兵から軍隊に入ると乙種、甲種と言う試験が有って、それに合格すると

乙は下士官に、甲
は尉官ぐらいまで行ける。士官学校を出ると卒業と同時に少尉で最後には佐官まで少尉で

士官学校を出てさらに陸軍大学を出て優秀な人が少将、中将、大将の将官になれると記憶
している。

 俺は大塚中尉に「2官候補生になって下士官ぐらいになれ」とずいぶん勧められたが「自分は1人息子で

親父の面倒を見なければならないので、お断りします」と言って断った。

 2官候補生になったら軍隊に何年も居て星2つの1等兵、奴等を飛び越して上官になる。だからそいつら

に意地悪をされるし、
扱かれる俺はそんな思いをするのも嫌だったし兵長止まりで沢山だった。

 話は戻るが、そんな俺達見たいな、せこい出世には関係無い雲の上の師団長が来る時は勿論、専用の乗用

車が有るその車に師団長の旗で有る黄色の旗を立てて来る。兵隊は全て捧げつつ、そして師団長が少し兵隊

を励まし帰ってしまうのだ。その外、1回、師団本部が有る
済南の軍人会館で師団長、細川忠康の訓示を聞

いた事が有る。

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