漢文の書き下し文 |
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夫れ妙法蓮華経は、蓋し是れ總じて萬善を取りて、合して一因と為る之豊田、七百の近壽轉じて長遠と成る 之神薬なり。若し釈迦如来の此土に応現したまえる之大意を論ずれば、将に宜く比経の教を演べて、同歸之 妙因を修し莫二の大果を得令と欲してなり。但し衆生の宿殖と善は微かにして神は闇く根は鈍く、五濁は大 機を障へ於六弊は其の慧眼掩うを以て、卒に一乗因果の大理を聞べからず。所以に如来は時の宜きに隋ひ 初は鹿苑に就いて三乗の別疏を開いて各趣の近果を感ぜしめたまえり。。此従り以来、復た平く空相を説て 同く修することを勧め、或は中道を明して褒貶したまえり雖ども、猶を三因別果の相を明かして物の機を養育 したまえり。是に於て衆生は年を歷て月を累て教を蒙り修行して漸漸に解を益し王城に於て始て大乗の機を 發すに至り如来出世之大意にかなえり。是以て如来は即ち萬徳之厳軀を動して眞金之妙口を開き、廣く萬 善歸理の明して莫二之大果を得せしめたまえり。妙法者、外国云う薩達摩といふ。然るに妙とは是れ麤を絶 る之號にして、法とは即ち此の経の中に説く所の一因一果之法也。言ココロハ此の経の中に説く所は一乗因 果之法は超然として昔日の三乗因果の麤………… |
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漢文 | |
夫妙法蓮華経者、蓋是總取萬善合為一因之豊田、七百近壽轉成長遠之神薬。若論 釈迦如来応現此土之大意者、将欲宜演比経教修同歸之妙因令得莫二之大果。但衆 生宿殖善微神闇根鈍、以五濁障於大機六弊掩其慧眼、卒不可聞一乗因果之大理。 所以如来隋所宜初就鹿苑聞三乗之別疏使感各趣之近果。従此以来、雖復平説夢相 勧同修或明中道而褒貶、猶明三因別果之相養育物機。於是衆生歷年累月蒙教修行 漸漸益解至於王城始發一大乗機稱會如来出世之大意。是以如来即動萬徳之厳軀開 眞金之妙口、廣明萬善歸之理使得莫二之大果。妙法者、外国云薩達摩。然妙是絶 麤之號、法即此経中所説一因一果之法也。言此経中所説一乗因果之法超然於昔日 三乗因果麤………… |
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口語訳 |
そもそも妙法蓮華経とは、思うに一般にあらゆる善行を取り、あわせて一因とするような 豊な田畑です。700年の寿命(限りある命の譬えらしい)轉じて長遠(永遠の命)成る神薬 ような教えです。若し釈迦如来が此の地上に出世(出現)した理由を問はばこの妙法蓮華経 を説くため、将に同歸之妙因を(一仏乗のようなあらゆる善が一同に帰す)修して莫二之大果 (一乗平等)得て欲しいためだったのです。但し多くの人々は前世からの積善は僅か心、 道理に暗く素質は鈍い。五濁(汚れは)大機(聖なる教え)を学ぶのを妨げ六弊(物惜しみ、 規律を破る、怒る、怠ける等々……に代表される六つの愚かさ)は心の智慧を覆うしまっです。 ですからいきなり一乗因果之大理(色々な教えは一つに帰す可能性を持つというような)優れた 教え(妙法蓮華経)を聞いても俄かには信じられない…………続く ※私のことです |
今は口語訳で聖徳太子様の本が色々出版されているので私の駄訳を信じないで そちらをお読みください駄作は参考程度としてください。 |