更級日記の方違(方違えの記述)
更級日記方違(かたたがえ※土忌)の記述原文 更級日記方違(かたたがえ※土忌)の記述原文
更級日記の方違の記述の口語訳
三月の月末のころ、土忌みのため人の家に移っていたところ桜が満開で素晴らしく、まだ散らぬ桜も有る(土忌が終わって)我が家へ帰って次の日
飽きもしない(宿泊させていただいた)貴方の家の桜、春も終わろうとして、散ろうとしている、(もう)一目見たいものです。
 方違(かたたがえ※ここでは土忌と言っている)は平安時代の物語、日記に頻繁に所見が多い物です。近頃更級日記を藤原定家卿の御真蹟(御物)のレプリカで読んで九星の記述を制作していて、待てよ最近読んだなと思いだして追加しました。この記述は池田亀鑑先生の平安朝の生活と文学を引用文を紹介します。まず貞丈雑記を引用して「方違と云、例えば、明日東の方へ行かむと思ふに、東の方其年の金神に当たるか、または臨時に天一神、太白神などに当たり、其の方へ行かば凶しと云ふ時は、前日の宵に出て、人の方へ行きて、一夜とまりて、明日其の所より行けば、方角凶しからず、物したる方へ行く也。方角を引きたがへて行く故、方違と云う也。とあるように、ある方向を忌むことであります。この塞がりの方角では、後世になると、建築、結婚、出産、仏事、展墓などはもちろんのこと、普通の生活も忌むべきものとされるようになりました。わざとその方角を違え、別の方角にある家に泊まりに行くそういうことが普通に行われました。これを方違(かたたがえ)と言います。「源氏物語」に源氏か゜空蝉の家に行ったことが見えていますがこれは方違のためでした。ちなみに「枕草子」に「すざましきもの…方違に行きたるに、あるじせぬ所、まして節分はすさまじ」(興ざめなもの…方違えに行ったのに御馳走もしてくれない家。まして節分の時などは本当にがっかりだ)とあるように、人が方違のためにやって来た時には、饗応するのが例であったようです。」
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