前出師の表 諸葛孔明      昭和10年12月5日 東京市中野区高根町6番地 三教書院 発行  
前出師表、書き下し文
 臣亮言す。先帝創業未だ半ばならずして中道に崩殂す。今は天下三分益州罷弊せり。此れ誠に危急存亡の秋なり然るに待衛の臣、内に懈らず忠志の士身を外に忘るるは蓋し先帝の殊偶を追て之を陛下に報いんと欲すればなり。
 誠に宜しく聖聴を開張し以て先帝の遺徳を光いにし志士の気を恢弘すべし宜しく妄りに自ら菲薄し喩を引き義を失て以て忠諫の路を塞ぐべからざるなり。宮中・府中倶に一體たり蔵否を陟罰す宜しく異同すべからず。若し奸を作し科を犯し及び忠善を為す者有らば宜しく有司に付して其の刑賞を論じて以て陛下平明の治を昭らかにすべ゜し宜しく偏私して内外を異に使むべからざるなり。
 待中・待郎、郭攸之・費褘・董允等は、此れ皆良實にして志慮忠純なり是を以て先帝簡抜して以て陛下に遺せり愚以為へらく宮中の事は事大小と無く悉く以て之に咨り然して後に施行せば必ず能く闕漏を婢補して廣益する所有る。
 将軍向寵は性行淑均軍事に暁暢し昔日に試用せらる。先帝之を稱して能と曰ふ是を以て衆議寵を挙げて以て督と為す。愚以為へらく営中の事は事大小と無く悉く以て之に咨らば必ず能く行陣をして和睦し優劣所を得しめん
 賢臣に親しみ小人を遠ざくるは此れ先漢の興隆せる所以小人に親しみ賢臣を遠ざくるは此れ後漢の傾頽せる所以。先帝在せし時、毎に臣と此の事を論じて未だ嘗て桓・霊に嘆息痛恨せずんばあらざるなり待中尚書・長史・参軍は此れ悉く貞亮、死節の臣なり。願わくは陛下之に親しみ之を信ぜよ則ち漢室の隆る日を計へて待つ可きなり
 臣本布衣、躬ら南陽に耕す苟くも性命を乱世に全うして聞達を諸侯に求めず。先帝臣が卑鄙なるを以てせず猥りに自ら枉屈して三たび草蘆の中に顧み臣に諮ふに當世の事を以てす是に由て感激して遂に先帝に許すに驅馳を以てす。後に傾覆に値ひ任を敗軍の際に受け命を危難の間に奉ず爾来二十有一年なり。
先帝臣が謹慎なるを知れり故に崩ずるに臨で臣に寄するに大事を以てせり命を受けて以来、夙夜憂慮し付託の效あらず以て先帝の明を傷つけんことを恐る故に五月濾を渡り深く不毛に入る今南方已定まり兵甲已足る當に三軍を奘師して北かた中原を定むべし庶はくは駑鈍を竭くし姦凶を譲除し以て漢室を復興し舊都へ還らんことを此れ臣の先帝の報じ陛下に忠なる所以の職分なり
進んで忠言を盡くすに到りては損益を斟酌し則ち攸之・褘・允の任なり願わくは陛下臣に託するに討賊興復の效を以てせよ效あらずんば則ち臣の罪を治め以て先帝の霊に告げよ若し徳を興すの言無くば則ち攸之・褘・允等の咎を責め以て其の慢を彰せ陛下も亦宜しく自ら謀って以て善道を諮諏し雅言を察納して深く先帝の遺詔を追ふべし臣恩を受けに感激に勝へず今遠く離るるに當て表に臨みて涕泣し云ふ所を知らず
前出師表、口語訳
 臣下である亮は申し上げます。先帝(劉備玄徳、昭烈帝様)は創業また途中で亡くなりました。今や天下は三分割して益州は疲れています。これは誠に危機存亡の時です。しかしお傍の臣は内に懈らず忠義志の士は身を顧みず戦っているのはおそらく先帝の特別の待遇を忘れずこれを陛下に報ようと思ってのことでありましょう。 誠によく天子の耳に入る事がらはよく耳をかたむけ正しく判断なされて先帝の遺徳を大いにして忠臣の気持ちを盛んにして下さいけしてみだりに自身で微力だと思わず(誤った)喩えを引き道理を失て以て忠臣の諫の路を塞ではなりません。宮中の役所・府中役所はともに一体です報償と処罰は(両役所で)違った賞罰を行ってはなりません。もし偽りをなし掟を犯しおよび真心善行くする者がいたならばよろしく役人に命じてその刑罰と賞を相談し陛下の公明な解りやすい政治を明らかにして下さいよろしくエコひいいきをして宮中と府中の賞罰を違ったものとしてはなりません。 待中の役職、郭攸之・費褘・待郎の役職董允らは、これ皆な良實で志や考えが忠実です。こういう訳で先帝は選び陛下に残したのです。私考えますに宮中の事は事は大小と無く皆これらに相談してその後に実行すれば必ずよく漏れを事柄を補って広く益する所で有りましょう。 将軍の向寵は性質は行動も善良公平で軍事に精通し昔に試に(先帝が)用ました。先帝はこれを称して有能と言っておりましたこれで皆が一致して彼を監督としてました。私思いますに軍事の事は事の大小と無くことごとくこれに相談すれば必ずよく軍隊を和やかにまとめ優秀、劣ったものに適任を与えましょう 賢こい臣下に親しみ下らぬ者を遠ざけたのはこれは前漢の興隆した理由です。愚かで下らぬものをと親しみ賢こい臣下を遠ざけたのはこれは後漢の傾むき崩れ去った理由です。先帝が御在世の時、毎に私とこの事を論じて桓帝や霊帝がつまらぬ臣下を近づけ国を傾けたのを必ず嘆いていたのです。。待中尚書・長史・参軍はこれはことごとく正しく、死をなげうつ臣下です。。願わくは陛下これに親しみこれを信ぜよすなわち漢室の隆る日を計へて待つばかりです。 臣下である私は本は無位無官、自身で南陽に農耕をしまにあわせで生命を乱世に全うして名声を諸侯に求めませんでした。先帝は私が身分の低いにもかかわらずむやみに御自身で謙り三度も粗末な住まいに顧みて私に問うに今の世の事を相談しました。これによって感激してついに先帝にたいして奔走努力をいたしました。その後に危険な場面にあい任務を敗軍のさいに受け命を危難の間に奉じました。いらい二十有一年がたちました。先帝は私がが慎重な(性格)知ていましたので亡くなる時に臨み私に以来して大事をたくしました。その命を受けて以来、日夜憂慮し託された(復興は)效はありませんでした。先帝の明さを傷つけることを恐れます。ですから五月に濾水を渡り深く不毛の地ちに入りました。今は南方はすでに平定され兵甲はすでに足りていて全軍を率いて北の方向中原を平定することです。なんとしても微力をつくし悪人を排除しそして漢皇室を復興し旧都洛陽へ帰ることを、これが私の先帝の(恩に)報じ陛下に忠義なるゆえのの職分です。進んで忠言を尽くす到ては損得を計りすなわち攸之・褘・允の任務です。願わくは陛下私に託するに討賊興復の効果を任せて下さい。効果がなければすなわち私の罪をさばきそして先帝の霊に告げてくださいもし徳を興すの言葉が無ければすなわち攸之・褘・允等の咎を責めもってその怠慢を罪を明らかにして下さい。陛下もまたよろしく御自身でよくお考えになって善の道を正しい政治をたずねよい意見を取り入れ深く先帝の遺詔を実行追善して下さい私は恩を受けたことに感激し耐えきれません今は遠く離れる当たり上奏文臨んで涙を流し何と申してよいか解りません。
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