右→は弘法大師様(空海)の肖像、平安時代の僧侶(印度哲学者)で讃岐の人、佐伯氏の出身。延暦23年(804)年遣唐使の一員として入唐、青龍寺の恵果阿闍梨に師事して密教(秘密仏教)の皆伝を受ける。※ですから現在は密教は印度ても中国でもなく日本の密教が正統なのです。大同元年(806年)帰国多くの経典、大陸の知識を伝え日本真言宗の開祖となりました。書に於いて三筆(空海、嵯峨天皇、橘逸勢)の1人に数えられ書籍も秘密曼荼羅十住心論,弁顕密二教論、他を表し後の日本文化に多大な影響を与えました。東寺や高野山の基を築きました。弊作の伝教大師の久隔帖と比べるとお分かりの様に最澄んだ人の最澄の澄んだ美しさに対しいかにも変化に富んだ筆使い表現面の豊かさは我が国の書に比類なき巨人と私は考えております。両大師はやがて交流が無くなったと言いますが学者肌の人と芸術家肌の人の肌合いの違いが原因と私は考えております。勿論大師も大印度哲学者でありましょうが。 弘法大師像
(談義本尊の部分
弘法大師空海の肖像をクリックすると大師の書の分析御覧頂けます。
風信帖の訓点(書の観賞の参考)
←左は弘法大師様(空海)から伝教大師様(最澄)に宛てた尺牘(せきとく)手紙で平安時代(9世紀)の物、風信帖と呼ばれ国宝、紙本墨書で縦28.8㎝全長157.9㎝三通を一巻に収める。第一通の書き出し「風信雲書」の言葉から風信帖と呼ばれ左はその一通目です。「止観妙門」を送られた事を謝す内容から始まります。最後の「東嶺」は比叡山ここは都より丑寅(北東)鬼門と言って魔物が来るといわれその守護の為に建てられたので多分東の嶺と言っているのでしょう「金蘭」は易経(繋辭上傳)の文、具体的には2人の言葉は心同じくその利は金を断じ。同心の言は臭い(香り)は蘭の如しの。文中の金と蘭の字より仲間、同志の意味と思ます。間違っていたら御免なさい。この手紙は現在東寺所有。
絹本着色)141.9㎝×61.7㎝鎌倉時代14世紀 弘法大師様の画像をクリックすると大師の簡単な書の分析のページを御覧頂けます。また大師著作冒頭の何作かを御覧頂けます。字クリックして下さい。御著作は規模が大きく紹介出来ません幸い中央公論に日本の名著が有ります。 画像をクリックすると訓点の画が御覧頂けます。訓点本の入手は困難で国立国会図書館近代デジタルライブラリーにアクセスし検索覧に「弘法大師全集」と入力、検索ボタンをクリック、吉川弘文館の本の紹介が出ます。それをクリック「目次を見る」ボタンをクリック、例えば第3巻をクリック弊作、大師著作冒頭で紹介の漢文の御著作(十住心論)を御覧頂たりダウンロード出来ます。※御著作は口語訳有り私みたいに変人の真似はしない事お勧めします。尚、私が読んだ訓点本(このページで紹介している画像)とは違います。
比較の為に伝教大師の久隔帖を御覧になりたい方は久隔帖の字クリックして下さい。
                       漢文(白文)
 第一通目
 風信雲書、自天翔臨、披之閲之、如掲雲霧、兼恵 止感妙門、頂戴供養、不知攸 巳冷伏惟、法體何如、空海推常、擬隨名躋攀彼嶺、限以少願、不能東西、今思、 与我金襴及室山、集会一処、商量仏法大事因縁、共建法幢、報仏恩徳、望不憚煩労降赴此院、 々河不具、釈空海状上   九月十一日   東嶺金蘭


 第二通目
 忽披抂書已銷陶爾。御香両褁及左衛士督尊書状。並謹領訖。迫以法縁暫闕談披。過此法期披雲。因還信奉比。不具。釈遍照状上。九月十三日 画像二通目字クリックして参照してください。



 第三通目
 忽恵書礼深以慰情香等以三日来也。従三日起首至九日一期可終十日払晨将参入願留意相待。是所望。山城石川両大徳。深渇仰望申意也。仁王経等備講師将去未還。後日親将去奉呈。莫責莫責也。因還人不具。沙門遍照状上。 九月五日 止観座主 法前 謹空 画像三通目字クリックして参照してください。

                                                                                                        
                 漢文の書き下し文
 第一通目
 風信雲書、天自り翔臨す、之を披之を閲するに、雲霧を掲げるが如し、兼ねて止観の妙門を恵まる 、頂戴供養せん、攸(ところを)知不 巳に冷かなり伏して惟うに、法體何如なるや、空海推ること常のごとし、命に隨い彼の嶺に躋攀(せいはん)せんと擬するも、限るに少願以てし、東西する不能、今我が金襴及び室山と一処に集会し仏法大事因縁を商量し共に法幢を建て仏の恩徳に報思う、望むらくは煩労を憚からず暫く此の院に降赴せられよこれ 望む所望む所。 々不具釈空海状して上る。      九月十一日  東嶺金蘭     

 第二通目
 忽ちに抂書を披き已って陶爾を銷す。御香両褁。及び左衛士督の尊書状。並に謹で領し訖す。迫るに法縁を以て暫く談披を闕く。此法期を過きれば披雲せん。還信に因って比を奉ふ。不具。釈遍照状上。九月十三日

 第三通目
 忽ちに書礼を恵まれ深く以て情を慰む香等は三日を以て来れり。三日より起首して九日に至って一期終る可し十日払晨まさに参入せんとす願くは留意して相待たれんことを。是れ望む所なり。山城石川の両大徳。深く渇仰して意を申す望むなり。仁王経等は備講師もち去っていまだ還ず。後日親ら将ち去って奉呈せん。責ること莫かれ責ること莫かれ。還人に因る不具。沙門遍照状上。 九月五日 止観座主 法前 謹空

口 語 訳 
                
※お願い私の口語訳で間違いだらけです。また背景が全く解らず想像するしかない個所が(特に二通と三通目に)多くあることに驚きました。参考程度にして下さい。。弘法大師様の著作は手紙までも詳しい解説書が出版されている様です。必ず興味のある方は専門の学者の本できちんと調べて下さい。
 密蔵深玄にして翰墨に載せがたしさらに図画を仮りて悟らざるに開示す。(これは大師の御言葉です。意味は密教の深い教えは文章などに表し難いそこで図などを示すことによって人々にその教えを開き示すのです。)と言った意味でしょうか密教は文章のだけにとどまらず。曼荼羅(サンスクリット語で真理を有する物の意味らしい※調べて下さい)など独特の美術を完成いたしました。弘法大師様が開山さら企画され東寺の立体曼陀羅は有名です。東寺の公式ホームページの字をクリックしてその紹介を御覧下ださい。下の東寺弘法市の東寺観光案内の中でも講堂・立体曼荼羅紹介御覧頂けます。東寺の昔の仕事は菅原道真公の様な御霊の鎮魂と考えられ菅公は藤原時平の陰謀で901年大宰府左遷。903年に大宰府で逝去する。しかし時平と道真左遷を謀った藤原菅根が雷に打たれ死亡。909年時平病死親時平派の源光は狩猟中に沼に溺死、時平周囲に不幸の影が、911年大洪水、923年、時平の妹の穏子の産んだ皇太子・保明親王21歳逝去、後継皇太子、子息慶頼王2年後5歳で逝去、930年6月26日内裏清涼殿に落雷、大納言、藤原清貫は黒焦死、平希世は顔を火傷重傷、紫宸殿の落雷で右兵衛佐・美努忠包頭に火傷死、紀蔭連は発狂、安曇宗仁は両膝を焼かれ転倒…密教は鎮魂を託されたのでしょう。御霊とは早良親王(桓武帝の弟、藤原種継暗殺犯※多分無実)伊予親王(平城帝弟、帝に疎まれ桓武帝妃藤原吉子親王母と服毒死)藤原仲成(藤原薬子兄)橘逸勢(承和の乱で濡れ衣、流罪途中死)文屋田宮麻呂、赴任地筑前で謀反の疑い伊豆配流。貞観御霊会はこの6人を祀ったそうです。無実の罪で亡くなった人の霊で死後に天変地異が疫病が続いたので鎮魂を度々行った言います。天台と真言の両密教は菅公や御霊の鎮魂を託されていたのでしょう。最後に御霊(ごりょう)て恐ろしいですねしかし御安心下さい。この様に恨みを抱いて亡くなった人の霊は災いを為す力は凄ざましいが信仰によってその神を味方につければ守護神としてこれ程頼りになる神は居ないと言うのが御霊信仰の基本なのですから。
          光明皇后・空海・最澄集        般 若 心 経 秘 鍵
空海と密教美術展で購入しました。聾瞽指帰のレプリカ便利堂のアイコンクリックで御覧頂けます 国立博物館、空海と密教美術展開催記念、般若心般若心経秘鍵原文紹介般若心経秘鍵口語訳は他のサイトに良い物が有りました。最大化ボタンクリックして御覧下さい尚、展覧会が終わってもこのページは削除しません。般若心経の原文は字クリックしてね。

 下のアイコンをクリッ クすると曼陀羅の動 画御覧頂けます


      京都東寺のあぶらとりがみ よーじや
(壁紙はよーじやのサイトからダウンロード出来ます。)
   便利堂の紹介は 左のアイコンクリックして下さい。

伝教大師の久隔帖の弊作サイトで天台宗の法華経を紹介していますがでは真言宗の紹介経典は?大日経?華厳経です。御本尊大日如来はサンスクリット語でヴァイローチャナと言います。漢訳で音写し毘慮舎那と言います。奈良の大仏様と同名です。華厳経は3度読みましたが眼が悪くな極める、東寺(動画)っただけで何も分かりません華厳の名を知れば十分、大師の十住心論は華厳の十地品の影響を受けていると思います。護摩の儀式も密教独特なので奈良の大仏と無縁と思っちゃいますよね。大師は華厳から密教へと信仰が変わって行ったではと素人なりに推理しています。隣にリンク設定しました。尚その根拠は弘法大師様は東大寺で戒をうけた事が今昔物語に記されており当然、最初華厳経から大日教(密教)へと教えの考えが変化したと思ったからです。弊作の今昔物語の大師の物語りの紹介サイトを作りましたので参考にして下さい。



         東 寺
 真言宗 東寺弘法市 高野山 二玄社
 華厳経 華厳経の見本 華厳宗大本山東大寺 十住心論 御護摩 大師会
 このウェブでは漢文を参考で紹介しています。読む必要は全くありませんカレーは印度の食事ですが本物の印度 カレーは辛くたまには美味しいですが日本人は毎日食べません仏教(印度哲学)や漢訳の仏典も同様現在は口語訳(家庭用カレールーに譬える)が有ります。鎌倉新仏教の法然上人や日蓮聖人が念仏や題目で(印度哲学の信仰を)易行で甘い家庭料理の日本のカレーの様に私達に哲学を身近にしてくれました。それが無駄になってしまうのでなるべくそれと意図の同じの口語の本を探してお読み下さい。     角川ソフィア文庫  三教指帰
前のページに戻ります。  参考ページ王義之の蘭亭の序 へのリンク
 弘法大師の時代はまだ日本は漢文で文章を書いていたためにどうしても文は漢文になっています。私も弊作の小説で小説を面白おかしく盛り上げるために自作の漢詩などを作って主人公に漢詩を歌わせていますがもとより漢文の素人です。偶然このサイトを発見したので知人では無いのですが漢文に疑問が有る方は下の先生にメールで問い合わせてはいかがでしょうかメールを出して答えてくれるかどうかは解りませんが専門家なので助言してくれるかもしれません。