有明の月(後深草院の皇弟、性助法親王説が有力)の手紙(恋文)
熊野本宮大社牛王法印 熊野速玉大社牛王    熊野那智大社牛王法印
愛染明王画像 なよたけ物語
古文
文を見れば、立文こはごはしげに、続飯にて上下に付け、書かれたり。あけたれば、熊野の、またいずこのやらむ、本寺のとかや、牛王といふ物のの裏に、まず日本六十ケ国神仏・梵天王帝釈より始め、書く尽くしたまいて後、「我七歳よりして、勤求等覚の沙門の形を汚してよりこの方、炉壇に手を結びて、難行苦行の日を重ね近くは天地長久をたてまつり遠くは一切衆生もろともに滅罪生善を祈誓す心の内、さだめて牛王天童諸明王、験垂れたまふらむと思ひしに、いかなる魔縁にか、よしなきことゆゑ、今年二年、夜は夜もすがら面影を恋ひて、涙に袖を濡らし、本尊に向かひ持経を開く折々もまづ言の葉を偲び、護摩の壇の上にには文を置きて持経とし、御灯明の光にはまづこれを開きて心を養ふ。この思い忍びがたきによりて、彼の大納言に言ひ合はせてば見参の便りも心やすくやなど思ふ。またさりとも同じ心なるらむと思ひつること、みな空し。このうへは文をも遣はし、言葉をも交はさむと思ふこと、今生にはこの思ひを断つ。さりながら、心の中に忘るることは生々世々あべからざれば、我さだめて悪道に墜つべし。さればこの恨み尽くる世あるべからず。両界の加行よりこの方、灌頂に至るまで、一期の行法、読誦大乗四威儀の行、一期の間修するところ、みな三悪道に回向す。この力をもちて、今生長く空しくて、後生には悪趣にうまれあわむ。そもそも生を享けてこの方、幼少の昔襁褓の中にありけむことおぼえずして過ぎぬ。七歳にて髪を剃り、衣を染めて後、一床にも居、もしは愛念の思ひなど、思ひよりたることなし。この後またあるべからす。我言ふ言の葉は、なべて人にもやと思ふらむと思ひ大納言が心中、かえすがえす悔しきなり
口語文
文を見ると、ごつい感じの立文を続飯て゛上下に糊付けにして、書てある。、熊野だの、またどこの寺だろうか本寺とかいうのだろうか、牛王宝印といふ物が押してある裏に、まず日本六十ケ国の神仏すべて・梵天王帝釈より始め、書く尽くし後に、「わたしは七歳の時から、勤求等覚の沙門すなわち僧形を汚して以来、炉壇に印を結び、難行苦行の日を重ね近くは帝の宝祚長久をお祈り申し上げ遠くは一切衆生もろともに滅罪生善を祈誓してきた。その心の内は、きっと牛王天童諸明王が、霊験垂れになるだろうと思っていた。どのような魔縁によってか、女へのよしない愛執ゆえに、ここ二年間は、夜は夜通し面影を恋うて、涙に袖を濡らし、本尊に向かって持経を開く時々もまづそなたの言った言葉を思出し、護摩の壇の上ににはそなたの手紙を置いて持経代わりとし、御灯明の光もとでまづこれを開いて心の糧としている。この恋心を抑えがたいので、あの善勝寺の大納言に相談すれば会う機会たやすいだろうかなどと思う。またいくらなんでも、そなたもわたしのことを愛してくれるだろうと思ったことは、みな皆かなわなかった。このうへは手紙を出したり、言葉をも交はそうと思う望みを、今生においては断念する。ではあるが、心中にそなたを忘れることは転生輪廻してもあるはずもないからね、わたしはきっと悪道に墜ちるであろう。であるからこの恨み尽きる時が有ろうはずが無い。金剛胎蔵両界の加行以来、灌頂に至るまで、一期の行法、読誦大乗四威儀の行、一生の間修するところを、みな三悪道に回向する。この法力でもって、今生は長く空しくて、後生には悪趣に生を享けるであろう。そもそも生を享けて以来、幼少の昔襁褓の中に居た時は記憶に無いままに過ぎてしまった。七歳で剃髪し、墨染めの衣をまとうようになって後、女性と同じ床にいたり、または愛欲の念を起こしたことなど思い浮かぶことは無い。今後もまたないであろう。わたしにも言った言葉は、おしなべて人にも同様だと思っているのだろうかと思い大納言の心の中、かえすがえす残念である。

とはずがたり 新潮日本古典集成 第20回 [単行本]

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