The origin of name "Fuji",and one concerns thelegend of PrincessKaguya. Raised on Earth Kaguya. was the Moon Princess, and when the time came for her to return tp themoon, the Princess left the potipn for Fuji (immortality) for foster father on earth. However, the old man had lostthe desire to live, and he took the potion to thetop of Mount Fuji and burned it. |
「富士」の名の由来は諸説ありますが、ひとつにかぐや姫伝説があります。地上で育ったかぐや姫が、月の世界に帰る折に、養父であった翁に残していった不死の薬を、生きる希望を失った翁が富士の頂で焼き捨てた事によるとされています。下の左の絵は宮田雅之先生の作品、下竹取物語サムネイルをクリックすると先生の作品を御覧頂けます。 |
![]() |
下は藤原定家卿筆の更科日記、富士山の記述が有ります。※二玄社の日本名筆撰43の書籍は定家卿を尊崇して出来た書道の流れ(定家流、茶道の遠州流の御家元などがそうらしいのですが)書の稽古に使う物だと思です。しかし読み物として字が大きいのと定家卿の字は可愛ので(実はただ可愛いだけではないのですけれど)読めます。御注意して頂きたいのは玉井幸助先生が(1924年に御物本を調査して解ったのですが)和本を綴じる時間違えていた事に気づいて今まで難解と言われたこの本の読みにくさの原因を突き止めました。更級日記錯簡考(右の字クリック)に紹介されています。二玄社の本は御物本のレプリカだと思います。従ってページ下に小さく書いてある次はXXページへの指示には(結構変な風に飛んでいます。)指示に従って附箋などを添付して読み物として鑑賞して頂いたらと思います。右下の定家卿の書をクリックして頂くと具体的にどの様にページが飛ぶのか紹介しています。竹取物語の作者は紀長谷雄、源順、源融、遍昭、紀貫之諸説有り。私は92年9月18日のNHKの放送で作家杉本苑子先生が紀貫之説を放送して印象に残っています。下右は紀貫之卿の肖像百人一首より藤原定家卿の筆跡を紹介しましたが定家卿は貫之の真蹟を京都蓮華王院の土佐日記から臨書しています。(今は亡失)それも下に紹介してあります。貫之の真跡の臨書の画像をクリックして頂くと石山切れ貫之集下の画像御覧頂けます。筆者は藤原定信卿の青年時代の筆跡と思われ表現はテンポの極めて速い浪漫的表現の動の美を感じる事が直ぐお解り頂けます。もはや高野切古今和歌集の様な雰囲気の埒内(らちない=範囲内)では無い表現の影響は定家卿の父、藤原俊成卿の書に影響を与えそれは定家卿の書にも影響を与えたであろうことは明白と思います。定家卿の御真跡と比べて見て頂ければと思います。 ←竹取物語(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫) |
|||||
右は藤原定家卿が土佐日記に紀貫之卿の自筆の臨書した物(前田育徳会)貫之の自筆が無い今、貴重な資料 | ![]() |
![]() |
||||
下は紀貫之卿の肖像百人一首より1992年9月18日のNHKの放送で作家杉本苑子先生が其の説を放送しました。 | ||||||
![]() |
||||||
一番右上の画像は更級日記、下に更級日記関係のページ有ります。字をクリックして御覧下さい。 | ||||||
更級日記の方違えの記述 (※ページ下の戻るでこのページ には戻れません。) |
更級日記 藤原定家の筆跡と訳 (※ページ下の戻るで このページには戻れません) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
竹取の翁 | なよ竹のかぐや姫 | 仏の御石の鉢 | 蓬莱山の玉の枝 | 火鼠の皮衣 | 竜の首の玉 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
燕の子安貝 | 月を見て泣く かぐや姫 |
二千人の軍勢 | かぐや姫昇天 | 帝の嘆き | 立ちのぼる富士の煙 |
竹の特集動画は字を クリックして下さい。 |
||||||
![]() |
||||||
![]() |
かぐや姫 |
![]() |