冨士の
西洋の香りを代表する香水は煙が見えません。また聞香も煙が見えにくい様です。日本や東洋で香りを薫ずる方法の一つである空薫の特徴は煙と共に香りが広がる
事です。 煙、それは見る者に色々な情緒を思い起こさせます。童謡に「垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ、焚き火だ落葉焚…」と言う歌が有ります。
この様な歌を聞くと落ち葉の焚き火が生み出す独特の香りを思い起こす時があります。童謡と言えば思い出されるのが不吉な童謡の
でしょう。
また、この不吉な童謡の狼煙の煙は
の煙の話をして見ましょう。広い中国では外敵の攻撃は、狼煙の煙りで合図する事が多かった様でそれは焚き火の童謡の様なのどかな物では無く切羽詰まった緊張を呼び
起こす物であった。この煙にまつわる物語もそうです。
周代に
宣王の時、流行の童謡に曰く「
商人を捕縛しようとしたが失敗、商人は逃亡中に運命の女児を拾い
幽王の時、褒国は咎を受けた。はその償いに、昔、宮中の少女がいもりに出会て妊娠し生んだ女児が今は成人した女、
だかこの時、女は大いに笑った。諸候は一人残らず周救援のために来たが敵はいない。だが幽王はこの褒娰の笑顔見たさに幾度も狼煙を上げた。諸候はあの「狼が
出た」と嘘をついた少年を信じなくなった様に幽王を信じなくなったのです。
後、王は
この亡国の美女、褒娰には実は三千年前殷王朝を滅ぼした。女、
九尾の狐は褒娰の以前はの耶竭国皇子、
滅ぼそうとしたが、天文博士安部泰親の護持修法により三国伝来金毛玉面九尾の狐の正体を表し艮の方角へ飛び去った。
やがて飛び去った那須で九尾の狐は退治されたが悪念は凝って石となり近くを通る鳥獣はその煙の邪気に当たって死んだと言う。 名僧
度叩いて「
ぼり西方に散りやっと祟りが無くなったと言う。
この話はのどかな煙とは対照的な国の滅亡の時の緊張と悲劇、恐るべき妖怪の不吉な煙の話です。でも仏に供える空薫の煙を見て日本人が受ける情緒は普通次の様
な物です。「煙が上ると共に先祖の霊が天上に上り成仏する様な気がする。」
煙は誠に融通無障の自由さを持って掴み所がない。まるで心の様だと言いたいところだが心はむしろ融通などきかない事が多々ある。融通無障の
自由なおおらかな気持ちを持つためには広い見識を養うと思われる学問を懸命にする事であろうかそれはそうではない事も有る様です。
或る会社に副社長と呼ばれる人が居る。彼は超難関の大学を優秀な成績で卒業した。しかしおよそ心の在り方が融通無障の自由さとは程遠い人物でした。
そして最後に彼が得意とする仕事はコピー(複写)であった。そして彼は駄洒落で複写長と呼ばれる様になったのです。またこの日本の教育の在り方その物が融通無障
の自由さとは遠い所にある様な気がすると思うのは独りではない筈です。 主観だが日本の教育制度(九尾の狐)は苦労した環境の人間が学術的な道に行く事が非常な
困難にしてあります。
「俺達は昼間長い時間をかけて学問に勤しんで来た。ましてお前達は時間が少ないんだから厳しく接するぜ」。全ての教育機関にそんな態度を感じる事は出来ない
でしょうか。
「俺達は昼間長い時間をかけて学問に勤しんで来た」そういう人達をよく学生食堂で見るが、そういう選りすぐられた人達に直に接し、職場で研究員などと言う大学卒、
博士号を持った人に直に何人にも接した経験の人は多い。が、そういう人達だから人間の総合的な知性は素晴らしいかというとそうとは思えない場合はよく経験する
事です。
学食で見たどう見ても風俗嬢見たいな女子学性、博士号は持っているけど何の融通性も無い馬鹿な非常識な人物。 学問を受けられず苦学する人を日本の教育が
ずいぶん苛める様な気がします。どう見てもかぶく格好をした女子学生見ると苦学する人に対して許せない気もします
学歴に関しここで一つの経験談を紹介しよう。或る職場で昼食は食堂見たいなフロアーがあってそこに20~30名程の老若、男女の研究員が混ざって食事をしていま
したが、この経験をした頭がさくッとピーマン男は一日一回の昼食ごとに席を変えるのが習慣で明日はまた別の席にしようという事を日課にしていました。 ところがこの
習慣は直ぐに頓挫してしまった。皆指定席を持っていたかですだ。たった20~30席しかない席に毎日同じ所に皆座る。隣は何時も同じ。 頭がピーマン男は席を変える
習慣を何故自分に課したかと言うと席が違うと部屋の見えかた雰囲気が違うからだと言うのです。また毎日別の人と話がしたく毎日別の人の食べ方を観察したかったの
だとも言う。(こいつ頭がさくッとピーマン男も要するに何時もかぶく格好をした変人なんだ私だったりして)
人々はなぜこうも指定席が好きなのだろうか?男は深く考えました。その結論は「そうか、こいつら何時も指定席ばかりを目指して来たんだ、何々小学校と言う指定席、
何々中学校と言う指定席、何々高校と言う指定席、成績は偏差値はこのくらいと言う指定席、会社で目指す物も研究員と言う指定席。
人は人生と言う名のバスの指定席のために必死に走り長い行列を作り待ち並ぶ「君もやるから僕もやれとばかりに」そして人に遅れまい辱められまいとしてその席に座って
安心する。が、この指定席に人生の罠になると男は考えた。
男が席が違うと部屋の見えかた雰囲気がまるで違うと言う事に拘ったのは或る時、街角の家が突然取り壊してあって空き地になった時が在ったと言う事だ。その空き地に
男が立って見た時に街は今までと一変して見えたのだと言う。
またこんな経験は無いだろうか?硬貨を机の下に落として机の下に潜るとこんな世界だったのかと思ったり。机の下から原田お萬五郎がスカートを覗き女の白い下着が見
え、ついムラムラっと(これは冗談)だが。
だいたい男の言いたい事は分かったと思います。見る視点を変えて心の視点を変えろ指定席(固定化された物の見方)を時に打破して何時も新鮮な気持ちで見えない物を
見る努力をしろと言う事です。
人生の陥穽や罠は至る所に在る。自分の声を録音して再生して聞き直した時の違和感、人は指定席の罠に嵌まっているのです。
先達はこれを戒めました。在る政治家は「声なき声を聞け!」と言ったり。龍安寺の石庭の石は本当は15有る様に見えるが14しか見えない様に設計されてある。それは
人は何時も見えない物を見ろとの師の教えのためわざと見えなくしてある。これはある芝居の台詞です。
知性とはそれを見るために必要な物であって。どれだけ歴史の年号を記憶してるとかましてや有名大学を出て指定席を得て自分の虚栄心を満足するための物では決し
てないはずです。
不二
自他、老若、貧富、苦楽、善悪そしてその一方に執着し苦しみ人を呪い嫉妬し…が、一つの例で説明すれば宇宙の創造の立場で考れば実はその様な対立は有りませ
ん人は時にその様な大きな視点で物を考える時が必要なのではないでしょうか。
でも、対立する物を否定するから犯罪が許されるとか年取って病気に成る事は良い事だとか直ぐ深遠な哲学とか宇宙論を持ってこいとか言っている訳では決してありま
せん。
同じ道でも昼間通る道と夜通る道は全く別の感じがすると言った身近な事にも驚く事が有る。それは昼しか考えない一方的な物の見方が身に着いている。そんな事を言
いたかったのです。
今、人は学問を身に付けるのには大層な努力と金が必要です。その様にして折角苦労して身に付けた知識学歴で人生を広い視野で見られるための材料にして欲しいと言
う願い。 広い視野を持つ事(対立物は実は二つならず一つ)は煙の様に誠に融通無障の自由な発想である事に鑑みて欲しい。そんな自由な発想であらゆる事情を探求
して欲しいとの願いが実は高い金を受け取り人を教育する人々の本願では無いでしょうか
先程紹介した男の経験談に登場する人々は悲しい事に知的職業の代表とされる研究員でした。彼等研究員の中でこの様な考えで「昼食ごとに席を変える」の男の行動の
意味を悟った人物は一人も居ないと言う事でした。彼等は皆立派な大卒だったのです。※結局ウルトラクイズ王(九尾の狐これは私の表現です)になるための大学受験勉強ばか
りした人の弊害かもしれないこれは中村修二さんという人の言葉です。
がんじがらめになった心の在り方、指定席(固定化された物の見方)は名僧玄翁が「
祈願し三度叩いて誦して引導を渡した悪念の凝って固まった殺生石の様に身近な人々の才能や長所をその煙の邪気に当てて殺してしまう事もあるかも知れません。
しかし、日本や東洋で香りを薫ずる方法の一つである空薫の煙の特徴の融通無障の自由さは私達に囚われてがんじがらめになった心の在り方を時には忘れて煙の
様に指定席(固定化された物の見方)を打破して発想をしろ。人の見方を変えて見ろ。そうしないと殺生石(九尾の狐)の様に人の才能を殺すぞと教え。その見方を変
える物は不二(対立物は実は二つならず一つ)であり、それは殺生石を二つに割り白気立ち上ぼり西方に散り祟りを滅ぼした様に人々を生かす不死の道であり、不吉
な煙では無く吉祥の昇龍が天に昇る煙である様に思えます。
竹取物語で不死の薬を焼いた山が冨士と呼ばれるようになった様に(物語の作者は士が富む山だから富士山でと呼ばれる様になったと言って言るが)その境地は極めて
高くその香りの煙は不二の烟と呼ばれるに相応しい物かも知れないのです。
この前、中国での受験の実態をNHK特集で見て何も子供にあそこまで勉強させなくとも…日本も大学受験が有るので基本は同じで中国、韓国、と同じ(失礼)後進国て感じました
けど。アホの独り言です。
衆議院議員 原田義昭 Blog - 強烈な受験戦争、中国の教育事情 1月6日(日)
殺生石
meisyokamakurakaizouji
上の写真は海蔵寺と開山玄翁和尚