の後、願を成就し十劫という信じられない昔に仏と成り西方十万億仏土の極楽で今も教えを説くという。
その金色の仏像、妙なる飾りを目の当たりにした時、極楽とは、こんな世界かと思った。その近所に三康図書館という図書館があり
、そこで源信の往生要集という本が目に止まり、見るとこんな記述。また再び極卒地獄の人を取りて刃葉の林に置く。かの樹の頭を
見れば好き端正厳飾の婦女あり。かくの如く見己りて樹の葉、刃の如くその身の肉を割き次いで筋を割く………」また次には。「か
の婦女を見れば、また地にあり欲の媚びたる目を以って、上に罪人を見てかくの如くの言を作す。『汝を念う因縁を以って我この
処に至れり、いま、なにが故ぞ来りて我に近ずかざる、何ぞ我を抱くかざる』と。罪人、見りて己りて欲心熾盛にして次第にまた下
るに刃葉上に向きてきて利こと剃刃の如し。前の如く遍く一切の身を割く……」と。結局、罪人は、この美女のため地獄でずたずた
になる。それを「無量百千億歳、自心に誑かされ、かの地獄の内にかくの如く転がり行き、かくの如く焼るること邪欲を因となす」
とも言う。
私は、この記述を思い出すたびに、これは決して絵空言ではないことを知った。増上寺の阿弥陀如来の極楽の美しさとは逆に、多
くの男女は互いに騙し騙されて我身をずたずたにする人は今も多い。まして、この身こそが妹は誘惑している訳ではないが、その虜
となり、この身がずたずたになっていることを思うと、そして他人ならば逃れられるが血縁という物が必ず世にある以上ついて回る
と思うと私にとっての地獄は本当に無量百千億歳、続くかと思って沈痛が精神を覆ったのである。
しかし私は表面、何事もないように振る舞った。妹と私は信じられないくらい仲の良い兄妹で、その後も色々な所へ遊びにいった
。妹は鎌倉の散策が好きで、よく連れていってやった。鎌倉に行ったある時、妙本寺という大きな寺に行った。この地は北条氏に滅
ぼされた比企能員の邸宅跡で、この地で興亡の秘史があったとは信じられない静寂さを保っていた。広い境内と三門、老杉が茂り本
堂右の山裾に古い比企一族の墓があった。私は妙に懐古の情がほとほとと湧き出て詩を歌った。
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