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いざない自分自身が浄化していくような気持ちが彷彿と脳裏に焼き付いていったのであった。またある時、木々が織りなす陰影の趣

の中を小学校低学年だった私が下校する時、桜の木の傍らに一匹の美しい蝶の亡骸が土の上に嵌めた絵のように視野へ入る。私は華

麗な生き物の無常をひしひしと感じ静かに石のように凝視を続けていると「お兄ちゃん」と、遠くから「なにやってんの?」と、妹

が声を掛けた。「いや、何でもないよ」と、私は言い2人は

人通りのない木々とキラキラと光る太陽の織りなす陰影の幻想的な街で帰りを急いだ。

 その頃の街には、まだ自動車など少なく静かであった。この街に住んでいたせいか私の心の中には、いつか移ろい行く物の哀れに

密かに寄せる愛が強力になっていったようである。沈む夕日の色彩、捕らえることの出来ない幻想への恋であった。

 その頃、姉も口紅を初めて買って来る年頃であり、「この色どう?」と、買ってきた口紅を私に見せた。と、私は「美しい何と美

しい」と、水底へ沈みこんだように、この世で物体はこれ1つしかないように見詰め続けていたという。私はこのことを覚えていない、

だが、この雰囲気の世界がそうさせただけだ、と私は今も信じている。

 しかし、この街とも別れる時が迫っていた。そんな在る日、確か3月だった。私はもう残り少なくなったこの街の小学校生活を今

日も続けようと学校へ急いだ。その日、私は珍しく朝寝坊をしてしまった。

 通学路には、もう人子1人いない。満開の桜並木を急ぐ私は驚愕した。風は微かである。春の風は爽やかだが蒸せるような蜂蜜の

ような香りだ。その微かな風にもかかわらず雪のように桜の花びらは乱舞していた。

 この後、人生でそう楽しい事のない私を桜が哀んで花びらを贈物にしてくれたんだ、と、この後、女の子に話をしたら「貴方は浪

漫的な人ね」と、笑われたことがある。

 新しく引っ越しした街は私は余り好きではなかった。都内の決して街並は汚くはない所だが、どこか寂寞、荒涼とした感があり木

々の陰影、近代感の内にも秘めた情緒を感ずる以前
の街とは違っていたし住んでいる人々も好きにはなれなかった。

 近所の病院は7万坪もあり風景も美しかったが孤独感の種を内なる土壌に蒔く雰囲気があった。いや、この地には呪縛があり荒野

の孤独感を何か再現させる目に見えない磁気のような物が在るとさえ考えたほどであった。 母は仕事が遠くなり兄、姉も遠くの学

校、私はさらに独白の増加する生活を感じた。

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