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と女から誘いがあった。私はもちろん行く、と返事をした。

 その日馬鹿の一つ覚えの濃紺の三っ揃えを着て体を清潔にして、浮き浮き出掛けた。2人は1日鎌倉で遊んだ。楽しい1日は、た

ちまち過ぎ夕暮れになった。私達はとある寺院で休んだ。

 私は、「そうだ観音堂にせっかく来たのだから観世音菩薩にお祈りをしましょう」と私は賽銭を2人分、2回入れて祈った。眼を

つむって合掌した私は深々と頭を下げ直ぐ祈りを終えた。

 女を見ると女は顔を真っ直ぐにして眼をつむって祈っていた。私と同じ濃紺の背広を来た端正な姿からは、創造もつかない苦しみ

を、この美しい婦人は持っているのだろうか?それとも悟りを求めようとでも言うのだろうか?じっと黄昏の薄暗い空気の中に立つ

品の良い一心に祈る女の横顔は、余りにも美しかった。 私はその時、時間が止まって感じられた。女は瞼を静かに開き、堂に視線

をやってそれから私を見た。

私は「何を、そんなに熱心にお祈りしていたのですか?」と聞くと。「秘密」と言ったが直ぐ「いえ、私は愛する永遠の恋人のこと

を祈っていました。その人の為なら、この身が八っ裂にされても、この身に変えて、その人を守って下さいと。無量百千万億衆生の

諸々の苦しみを感じ聞き見て、即、33もの色々な姿に身を変えて衆生をお救くださる偉大な神通力をもった貴いお方。私の身に

変え愛する人をお守り下さい。もし、お守下さらないのなら、貴方のような大偉神力を持った貴いお方でも、お恨み申し上げます。

」と祈りました。

 私はこの女の愛する人が羨ましかった。しかし、同時に、信じられない、この女と会った偶然が、という気持ちが吹き出していた

。「妹に似た女が、しかも、ほぼ同時期に………それに今日、女と1日中いて、信じられないほど馬が合った。まるで幼馴染みの

用に。失踪した女が騙してここに、いや、もしかしたら死んだはずの………そんな馬鹿な」と思った。

 女は言った。「鎌倉の会席料理屋で食事をしましょう」と、私は「ええ」と答えた。1日は楽しかったが食事を終え別れる時が来

た。女は「ここからは1人で行きます」と言った。レストランの前で見送る私を、名残惜しんで幾度も振り返って見た。そして女の

姿は見えなくなった。

 家に帰ると兄は、「どうだ、お前、車の免許でも取れよ」と言った。「有ると便利だぞ、俺が今乗ってる車で教えてやるからよ、

夜みっちり練習すれば第1第2段階なんか直ぐだよ、お前、最近どうかしちゃったんじゃないかと

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