原田俊介のページへ

言い、警察にはお願いだから暫く、と言って近所の人も連絡を押さえた。少しでも別れを惜しみたかった。私は妹の緑の黒髪を切っ

て形見としようと思った。私の買ってあげた銀の指輪を左の薬指から外し、自分の薬指に嵌め。私のあけたハンカチに髪を切って包

んで大事に、胸のポケットにしまった。「もう7時だ」私達、家族は不思議なことに扉を開いたまま全員、家を出払って居なくなっ

てしまった。 全ての連絡が整い20分ぐらい家を開けたまま家に帰ると妹がいない、寝ていないのだ。急いで室中を見た。

兄、姉も信じられない、死者が盗まれた!誰がこんな馬鹿な事を、警察が必死で調べたが無駄であった。妹の亡骸は煙のように消え

た。そして、その犯人を目撃した物さえ居なかった。そのことが私達を一層、悲しくさせた。遺骨も無いまま妹の通夜、葬式、納骨

などが、瞬く間に済んでいった。

 私は密かに決心をした。1999年の7月7日に俺も、くたばろう。後の人生は、おまけさ、でも、それまでは、何としても生きて

やる七夕の日なら彼女は必ず天の川の向こう岸で俺を待っていてくれるさ、必ず。

 私の心は荒んでいった病院には今まで通り出ていたが、昼休み、自転車で10分も掛かる食堂へ行って病院の連中が居ないのを確か

め昼から麦酒、大瓶1本を飲みながら食事を取っていた。夜は安酒場、お触りの安キャバレーパチンコ、競輪、競馬、一通りの事を

やってみたが罪悪感が消える訳ではない。この南爪頭から消えない。消えないまでも酒には引かれた。時に反吐を吐く程に。

大抵は金が在りさえすれば、ふらふらになるまで酔っ払った、その時だけ頭が空っぽになるからだ。酒では麦酒が好きだった。自棄

糞の私は味の苦い、この酒の泡、水面にしたから昇るビーズのような泡末を見ていると、その儚なさ、せこさが自分の下劣な生
涯と

重複して泡を見詰めながら、ぐい、と一気に飲み干した。「この酒は
俺に相応しい」と。飲んで4、5本、空けるのに30分もかか

らなかった。

 ところで、読書と言えば、私は文学、哲学、それが今では背のでかい、やくざが自分の回りを取り囲んで売り付ける猥褻本を見て

缶麦酒、片手のストリップの愛好家であった。

 家に帰ると、時に姉は平手打ちを私に食わせる事さえあった。「そんな事で、お母さんや妹が喜ぶの」と泣いた。「うるせえ、彼

女は俺の宝だった、それが忘れられないから飲んでいるんじゃねえか」私は畳の上に直ぐ大の字になった。しかし、姉はそれ以上何

も言わなかった。私が妹をどんなに可愛がっていたか、それを失った時どんな心境いるかを

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