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周りにいた家族もこの詩を聞くとはらはらと泣いた。母が亡くなって後の数週間は虚ろな心身をただ持て余すだけの日々であった。

 たまに心配をした叔父が来て慰めてくれた。叔父は法華経を読経する。それを聞きながら文学的、劇的なこの経に心が慰められた

が同時に胸も締め付ける。もっと親孝行をすればよかった、との自責の念が責め苛なんだ。

 母への追憶の情から母の墓に良く通った。母の墓に行く途中に花屋が有る。あまりによく墓に通うのでそこの花屋の主人と知り合

いになってしまったほどであった。

 しかし、自責、後悔や寂しさは、じわりじわりと生きる気力を蝕んでいった。兄、姉、妹も寂しかっただろう。

そんな中でたった一つの生きる希望は妹だけであった。自棄っぱちの荒んだ感性にはそれは道ならぬ恋、決して生まれては行けない

恋、でも長い長い髪、容姿の不可思議なほどの風雅は苦しいがたった一つの救いだった。

 その日、1998年7月6日、私は病院を休んだ家族には内緒で。朝、出掛ける時、外で一緒になった妹に「今日、お兄ちゃんは

、お姉ちゃん達には内緒で病院を休むんだ2人でどこか遊びに行こう」と言うと妹は「うん」と言った。

「そうだ、鎌倉にでも行こう」と言って兄、姉達に見付からないように自転車を2人乗りして駅まで行き鎌倉へ行った。2人は楽し

く遊び1日は、あっと言う間に過ぎた。もう日暮れ、夕日は地上のあらゆる物の影を長く伸ばしていた。2人は古都の浜辺を寄せて

は帰す潮騒を聞きながら夕日が見せる儚ない西の空を染める化粧を惜しむかのように誰もいない砂浜を1歩1歩と踏み締める。海風

は妹の長く繊細な髪をさらさらと戯れていた。

 その妹の棚引く髪と夕映えに僅かに眼を細め黄金色の海の彼方を見詰める眼、照り輝く横顔。無表情に感傷に浸り満ちる上品な感

覚に、私は堪えられないような愛らしさが強く胸に迫り言った。

 「昔のことが懐かしいお前とは何時も一緒だった。何時までも、何時までも一緒にいたい兄妹でなかったら兄妹でなかったらお前

をお嫁さんに出来るのに」私は妹の表情を、様子を正面からじっと伺った。誘い寄せるように私を見る妹の眺め凝らす眼に私はやり

きれなく涙が溢れ歌った。

「筒、井筒、井筒に掛けし麻呂が丈、生にけらしな、妹、見ざるまに」すると妹もじっと憑かれ念ずるように心を込めて私を見て

いる。私は妹の眼の光の下に一閃、硝子のように、きらり、と滑らかに吸い込まれる涙を見た。

一筋、二筋妹の瞳は潤む。私は右手で妹の肩に触れ左の指で優しく優しく、羽根で触れるよりも、そっと尚もも私を見詰め続ける

     
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