この前、兄の車で家族で深沢の周辺にドライブに行ってまいりました。私は特に一度も言った事が無いのに遥か遠い昔に下の二つの住所に住んでいる様な錯覚に陥ってしまいました。そしてその夜夢を見ました。この家で犬を飼っていてそれはテリア犬でした。しかし犬は死んでこの正面の道から北へ向かって公園まで全て庭で奥に確か大きな柿の木が有り(あるいは今この公園内の大きな木かもしれません)そこに埋葬しました。そこで目が覚めたのです。私の両親はBlood,
Sweat & Tears重労働者(Hardworker)で貧しく無教養な人で私と同じでしたのでこんな所とは無縁でした。いずれにしても私は貧民街の出身なのでこの不思議な夢はなにか悲しいような気がしました。まだ私が前職の時、茶道を多くの女性と一緒に習っていました。私は自身の出身地を山谷と言ったら備後尚子さんが「そこどうやって行くんですか住んでいたら知っているでしょ?」て言ったんです。私は答えに窮してしまい「それは、それは……」と答える事が出来ませんでした。恥ずかしい事に貧しさのあまり各地を流浪して覚えている住所なんか無いんです。私は少し心が疲れているのでしょうこんな全くあり得ない既視感が心を支配して申し訳ございません。
deja-vu既視感(きしかん)は、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることです。私がデジャヴュの街と呼んでいる東京都世田谷区深沢七丁目付近の風景、私は貧民街の出身で今もその日暮らしの貧しい生活と何の教養も無い中でこの小説を書いたのですが或る時、偶然この周辺を訪れて一度も住んだことも無いのに既視感を強く感じてとても気に入りました。この小説のラストシーンはこの街で起こるのだと考えるようにさえ成りました。もし余命幾ばくもなければこの街に戻るまたは結婚でもしたらこの街へ帰ろうかと思っています。
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詩集 世紀末の花
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この桜の神話と言う物語は古事記の衣通姫伝説(そとおりひめでんせつ)と能楽、井筒唐の詩人、白楽天の長恨歌のイメージを広げて作ってあります。下は衣通姫伝説かに題材を取った宝塚歌劇の月雲の皇子とその下は井筒の画像。本当はいちいちこんなことは説明すべきではないのですが古事記上代歌謡に納められている二つの異常な愛の物語を素材としているので口に出すのを憚っていたのですが或る事を言われたので説明してしまいました。悲しいことです。