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                                  野口英世の母の肖像     
野口英世博士の母上様の自筆の手紙一部右は訳文
野口英世の母の自筆の手紙一部 『おまイの。しせには(出世には)みな
たまけました。わたしもよろこんでをり
まする。なかた(中田)のかんのんさま
に。さまに。(繰り返し)。 ねん(毎年
)よこもり(夜籠)をいたしました。べん
京(勉強)なぼでもきりがない。いボし
(鳥帽子)ほわこりをりますか。おまい
か。きたならば。もうしわけ(申し訳)か
てきましたよ。はるになるト。 みなほ
かいド(北海道)にいてしまいます。わ
たしも、こころぼそくありまする。トか
はやく。きてくだされ。かね(金)をもろ
た(貰った)こトたれにも、きかせませ
ん。それをきかせるト。みなのれて(皆
飲まれて)  しまいます。はやくきてく
たされ。はやくきてくたされ。はやくき
てくたされ。はやくきてくたされ。いしょ
(一生)のたのみて。ありまする。(以下略)
     西脇順三郎先生の旅人かえらず(113番)

      あかままんの咲いていゐる
    どろ道に踏み迷う
    新しい神曲のはじめ

西脇先生はダンテの神曲の影響で作った詩、西脇先生と同じどろ道
とかの言葉の詩想は私も同じ詩想、ここで泥濘(むかるみ)とはたんな
る泥道ではなく人生で出会う色々な困難の事当たり前てすよねこんな
比喩解らない訳無いけど一応説明して置きます。血、汗、涙は英語で
言うところのBlood, Sweat & Tears重労働者(Hardworker)で人生の辛
さの比喩です。また弊作の香水壜と言う詩は香水の香の変化を詩に
しましたが、またイメージにダンテの神曲の
イメージを使っています。本
を出版した時にピープレス編集の本橋友紀さんから業火と劫火のど
ちらの言葉にしますかと聞かれたのでダンテの神曲を昔読んだ時に
確か劫火の字を使っていた様な記憶が有るので、劫火にして下さい
と言った思い出が有ります。下はドラクロワのダンテの舟、私もこの絵
ドラクロワのダンテの舟を見たらまた作品を書きたくなりました。病気



マララさん
上の画像は新聞からのリンク抗議が有れば掲載中止します。
 本日2013/7/22電車に乗っていると駅の朝日新聞の写真の記事に上の少女の国連演説の記事が掲載されていました。子供の時、身体の弱かった母を私達兄弟三人は何時も買い物の手伝いをして荷物を持ってあげました。やはり男性に比べて大人とはいえ女性は筋力などが弱かったりまた病弱であれば、いたわりの心を持たなければならない事は当たり前です。殆どの人はそのいたわりの心を持っています。しかし世界には女性と言うだけで上の例の様に教育さえ受けられない国がそれを主張しただけで暴力を命を狙われる国が本当に有ります。女性は母は神の代理の人だと言うに。
  
       
神は何時も人の傍(そば)に居てあげる事は出来ないだから神は人に母を与えたもうた。

   兄から聞いた出典不明の言葉、イスラム教の言葉らしい母って女ってすごいこの世だって時に
     地獄の様なのにその愛で母は子を守る神様の代わりの人なんだ。


                             お母さん 原田俊介 詩

                     泥濘に、幾度も足をとられ
                    お母さんの手がふれるぬくもりが伝わる
                   お母さんは、この生涯の半分 
                  悲しみ、血、汗、涙ぬくもりを分けあおう いつまでも。

                   女性(母)と若者について


男性に出来て女性に出来ない仕事は原則としてありません。しかし女性の感性、個性はただ男性に対抗し


真似をすることでは開化しないことでしょう。


 ローマ帝国の女は奴隷が作り出した暇で男女関係の醜聞をその住家とし教養を身に付け教養では何時も


男性をコケにしていました。でも男をコケにする教養を身に着けたローマ女で後世に残る精神的業績を残


した人は少ない様です。

 女性は偉業をする。釈迦、孔子、基督もそれを生んだのは女性、基督教は聖母が作ったのかもしれない

儒教は孔子の母が孔子に影響を与えて作ったのかもしれない。

 何故なら男性の戦争中心の歴史感、社会感を思う時、この2人の思想は平和的であり平和を愛する女性


の思想の影響を受けた感があるからだ。

 要約すれば女性が子供に与える影響の大なる事、女性にしか出来ない仕事の重要性こんな簡単な事


にも発見出来ると言う事です。

 「大ローマ帝国は、奴隷が作った暇で醜聞を住家とした退廃した心を持った女が、その女が育てた退廃


した心を持った子供が滅ぼした。ゲルマン人が滅ぼしたのではない」。

こんな事を言わせるローマの女は永遠の恥です。

「偉大な基督教はその母が作った」そう言われる女性は永遠の誉れです。女性の感性、個性は時に偉大を


育て時に退廃を進行させる。良くも悪くも歴史は女性が作る。


 だから女性を愛する世界を作らねばならないのです。その感性、個性を真に社会に素晴らしく開花させない


体制を作っている事は世界の罪です。      

                                         
同級生の佐藤君と話をした時に「俺の友達に都立高校の教師が居るんだよその人が『学費が百円
足りないために辞めていく生徒が居るんだよまたそういう生徒に限って優秀なんだよ』と言う話を思い出
す時が有ります。どんな境遇の人間にもある程度の教育を受けさせる体制それって若者の夢のためには
重要ではないかと私は思うのです。

感性個性を述べましたが今度は特に若者の感性、個性の問題について述べます。現代の教育体制は


コンビューターによる偏差値を元に人間の能力を振り分けしています。

ところで古代中国の若者の挿話、若者2人が雇われ田を耕していると1人が「富貴なっても互いに忘れまい」


と言うともう一人が「雇われ田を耕すお前が富貴になれまい」と言うと先の若者は「燕雀安んぞ鴻鵠の志


を知らんや
(えんじゃくいずくんぞこうこく のこころざしをしらんや)。(ツバメやスズメのような小さな鳥


にはオオトリやクグイのような大きな鳥の志すところは理解できない小人物に(大人物)の遠大な志は理解


出来ない)と言った。


この若者の言葉は将来何かたまげる事をしでかす未来を暗示させる言葉だ。事実後に歴史を変えるこの人


司馬遷は無能の人と言っています。



 では何故この人物に歴史を変える様な事が出来たかと言えばこの人が馬鹿だから良く言えば志を


持っていたから、夢を見る事が出来たからです。



 コンピューターは人の側面の能力を正確に予測する。が、それは人のほんの一部分の能力の推測に過ぎない。


コンピューターのプログラムは一生の賃金、住宅ローンとあらゆる将来の予想を予測する物まであるという。

 しかし電子計算機は愛さない、憎まない、笑わない悲しまない、そしてなによりも志を夢を見ない「夢のない


科学者は天才にはなれない」とボーアは言った。あの理路整然とした科学の世界でさえ夢がなければ駄目だ


とこの天才は言う。


明日自分の立っている場所の天気を予想すら出来ないスーパーコンピューターより時に人は未来の夢を


描く若者を、それが実現不可能な大きな夢と感じられても、夢を抱く若者を信じるべきです。その為に人は


横にあるコンピューターを思い切って横のゴミ箱に捨てる勇気を持つべき時もあります。



司馬遷は或る人を描写する時、その人の若き日の挿話で未来を暗示する。先程の陳勝もその一人です。


我々は我々の前に颯爽と現れて何かとてつもない未来を暗示する志を夢を熱ぽく語る若者を待つ、


そして、その夢を決して「雇われ田を耕すお前が富貴になれまい」と言った人の様に笑っては成らない。


そう言て若者を笑う社会を作ては成らない、時代は若者が作る。だから時に人はコンピューターをゴミ箱


に捨てても若者を愛さなければならないのです。


下の画像は私の母の命日に位牌に供えた品物、上、鶏頭手金更紗のマフラー、下右はベネチアグラス
  (イタリア製)のペンダント下右、伽羅※この伽羅を聞香炉で焚きました。女性の物ですので私は使用し
  ないので引き出しの奥深く眠ってしまう品物、いいや来年もまた何か購入致します。香木も朽ちるもの
  では有りません銘は常盤ノ松と申します。
     

    

                         

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