太丁・帝乙を経て帝辛に至った。名前は受。呼び名は紂と言った。生まれつき弁舌さわやかで動きは俊敏、猛獣を手で格闘して打ちまかせるほど智力は諫言を防ぐ事に足りており言葉は(自らの)非をとりつくろうのに十分でした。 初めて象牙の箸を作った。諸父の箕子は嘆いて言った。「彼は、象牙の箸を作ったからには必ず食事の盛り付けはかわらけのような(そまつな器は)使うまい。いまにも玉の杯を作る。玉の杯と象牙の箸を使うからには、必ずあかざやと豆の葉吸い物にしたり、短い毛織の着物を着て茆茨(そまつな藁ぶきの家)のいは住まないであろう。すなわち錦の衣を九重に重ね、高いうてなの広い居室、ここに万事この様にすれば、天下の(財物)でも足りるわけはない」と。紂は有蘇氏を討伐した。有蘇氏は妲己(美女)を献呈した。紂はこれを溺愛しその言葉なら何でも聞いた。重税を課して、鹿台の倉庫に財物を満たし、鉅橋倉庫には穀物を満たし、沙丘の庭園は怨ともに広げ、酒で池を作り、(木)に肉を懸けて林とし、夜っぴで酒宴に耽った。人民は紂を恨み、諸侯は叛く者が出始めた。そこで紂は刑罰を重くして。銅の柱を作り、(その銅の柱にたっぷり)油を塗り炭火の上にその銅の柱を(橋の様に渡し)、罪人を渡らせた。(罪人は)足が滑りつまづいて火中に落ちる。(紂は)妲己とその様子を見て(狂人のごとく馬鹿笑し楽しみ満足した)名づけて炮烙の刑と言う。淫に女をあさり人民を虐待する事は、はなはだしかったので庶兄微子しばしば諌めたけれど紂は聞かないそして殷を去った。比干も諌めて3日間紂の側を去らなかった。紂は怒り言った。「私は聞いた事が有る有徳の人の胸には7つの穴が有る。」と(試しに見てみよう)と殺して解剖しその(血まみれの引き裂かれた心臓や肺)を観た。箕子は狂人を装って奴隷に身をやつしたが紂はそれを捕えた。殷の楽長はその楽器を携えて周に逃げた。周公の昌と九侯と顎侯は紂の3公だ。紂は九侯を殺す。顎侯とも争ったので併せてこれを殺し干し肉にした。周公の昌はこれを聞いて嘆いた。そして紂は昌を羑里に幽閉した。昌の臣下の散宜生は美女と珍宝を求めて紂に献呈した。紂は大いに悦び、そして昌を釈放した。昌は退いて徳を積んだ。諸侯は多く紂に叛いて周公の昌に帰屬した。昌が亡くなり子の發が立った。諸侯を率いて紂を伐討した。紂は牧野の戦い敗れ寶玉をまとい自ら火中に入り焼死し殷王朝は滅び去った。
十八史略 殷王朝の滅亡
書き下し文(白抜きは紂王の記述)
閉じる
亶甲… 水害を避けて相の地に遷った。祖乙の時になって耿に居た。また耿が破壊された。祖辛・沃甲・祖丁南庚・陽甲を経て盤庚に到り、耿よりまた亳に遷った。殷の政道が復た興った。盤庚より小辛・小乙を経て武丁に到った。夢に良い補佐役得る(夢を見た)。説と言った。説は罪人となり、傳巌で建築をしていた。これを求めて説を得た、立てて宰相とした。武丁は世祖の湯王を祭ると雉が飛んできて、鼎に登って鳴いた。武丁は懼れて我を忘れて反省した。殷の政道が復再びおこった。名づけて高宗と称した。武丁・より祖庚・祖甲・稟辛・庚丁を経て武乙に到った。武乙は無道の君主だった。人形を作ってこれを天神と言って、これと博打した。(その方法は)この天神人形を人に操らせ博打をさせた。天神が勝たなければ、すなわち辱しめて喜び、革袋に血を満たし(吊るして)、仰いでこれを(矢で)射る。この行為を名づけて天を射ると言った。猟に出かけて雷に打たれて死んでしまった。 
 亶甲… 水患を避けて相に遷る。祖乙に到って耿に居り、また耿にに圮る。祖辛・沃甲・祖丁南庚・陽甲を歴て盤庚に到り、耿より復亳に遷る。殷道復興る。盤庚より小辛・小乙を歴て武丁に到る。夢に良弼を得。説と曰ふ。説、胥靡と為り、傳巌に築く。求めて之を得、立てて相と為す。武丁、湯を祭る。飛雉有り、鼎に升って雊く。武丁懼れて己に反る。殷道復興る。號して高宗と稱す。武丁・より祖庚・祖甲・稟辛・庚丁を歴て武乙に到る。無道なり。偶人を為って之を天神と謂ひ、之と博し、人をして為に行はしむ。天神勝たざれば、乃ち之僇辱し、革嚢を為って血を盛り、仰いで之を射る。命けて天を射ると曰ふ。出でて猟し暴雷の為に震死す。 
殷王朝滅亡の様子
殷の最後の王、紂の記述
歴代の殷の王の名が見えます。
大画面クリック
大画面クリック
大画面クリック
 甲骨文字を解読した結果下の1頁めに見える様な祖乙(13代)祖辛(14代)沃甲(15代)祖丁(16代)南庚(17代)…と記された物が発見され伝説と思われていた殷王朝の実在が証明されのした。原文で特に読む必要は有りません
口語訳(白抜きは紂王の記述)
 太丁・帝乙を歴て帝辛に至る。名は受。號して紂と為す。資辯捷疾、猛獣を手挌す。智は以て諫を拒ぐに足り、言は以て非を飾るに足る。初めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼、象箸を為る必ず盛るに土簋を以てせじ。将に玉杯を為らんとす。玉杯象箸、必ず藜藿を羹にし、短褐を衣て茆茨の下に舎らじ。則ち錦衣九重、高䑓廣室、此に稱うて以て求めば、天下も足らじ、」と。紂、有蘇氏を伐つ。有蘇、妲己を以て女はす。寵有り。其の言皆従ふ。賦税を厚うして、以て鹿䑓の財を實て、鉅橋の粟を盈し、沙丘の怨䑓を廣め、酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、長夜の飲を為す。百姓怨望し、諸侯畔く者有り。紂乃ち形辟を重くす。銅柱を為り、膏を以て之に塗り、炭火の上に加え、罪有る者をして之に縁らしむ。足滑らかにして跌づいて火中に墜つ。妲己と之を観て大いに楽しむ。名づけて炮烙の刑と曰ふ。淫虐甚し。庶兄微子数々諌むれども従はず。之を去る。比干諌めて三日去らず。紂怒って曰く、「吾聞く、聖人の心には七竅有り、」と剖いて、其の心を観る。箕子佯狂して奴と為る。紂、之を囚ふ。殷の大師、其の楽器を持して周に奔る。周公昌乃び九侯・顎侯は紂の三公たり。紂、九侯を殺す。顎侯争ふ。併せせて之を脯にす。昌聞いて嘆息す。紂、昌を羑里に囚ふ。昌の臣散宜生、美女珍宝を求めて進む。紂大いに悦び、乃ち昌を釋す。昌退いて徳を修む。諸侯多く紂に叛いて之に帰す。昌卒す。子發立つ。諸侯を率ゐて紂を伐。紂、牧野に敗れ。寶玉を衣て自ら焚死す。殷滅ぶ。