大東亜共栄圏その実体はただ現地の人々や戦争に勝利した時の捕虜を非人道的扱うだけの事だった。
泰緬鉄道 日本の英雄を賛美する植民地の人々
←日本軍がインド進行のために敷設したタイ、ビルマ間の鉄道連合軍捕虜、6万8千、東アジア各地から集めた労働者30万人を動員1年3カ月間の建設工事で多数の死者を出しそのうえ現在では全く不要と言われている。
 右の写真は西郷や吉田松陰の写真が見えるが実は台湾の人らしい私は或る時朝鮮のお年寄りの人が日本語が皆話せるに腰を抜さんばかり驚いた。これは皇民化と言って現地の文化を無視して強制的に教育したからなのです。  →
下の写真は731部隊の再現写真 下の写真はバターン死の行進
 細菌戦の研究・実行のために日本陸軍が創設した特殊部隊中国人・ロシア人の捕虜の生体実験を行っていた。私は或る製薬会社で動物実験を行っていてそれでも心が痛むことが有ったのに生きた人間とは  1942日2月15日、フッィリピンのバターン半島で日本の捕虜となった7万8千4百人のアメリカ軍とフィリピン軍は捕虜収容所までの約100キロを炎天下に行軍させられ1万6千人が死亡した。
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