哀れなる魂 急の段 第2部 永遠の青春

 暫くすると暗闇の中へ老人は初め私の前に姿を表した同じ姿で闇の中に、ぽっかり、と浮かぶ様に現れた

。老人の回りは全て闇である。老人は「廻向の礼に最後に幸若舞を舞おう」と言った。そう言った瞬間にま

た世界は暗くなり光は1つも無くなった。

 私は不安になった。すると左右から赤い炎が赤々と灯り、その松明の様な明りは1人の人物を照らした。

それは、あの老人が学生服とゲートル姿の若者になった姿である事が直ぐ分かった。その赤々と照らされた

若者になった老人の姿は不思議な事に映画のモノクロの様に姿には色がないのだ。そして若者になった老人

は幸若舞の敦盛「人間50年、下天
の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり、一度生を得て、滅せぬもののあ

るべきか」と静かに歌って舞った。

すると、その若者は、すーっと後ろの暗闇に吸い込まれる様に、遠近法の消滅点の様に後ろの空間に消えた

。 世界はまた暗黒となった。そして暫くすると、その闇の中の遠くの方から行進曲の様な物が聞こえて来

た。その音は段々大きくなり、そしてザッ、ザッと多くの人の足音が遠くから聞こえて来た。そして真夏だ

と言うのに、辺りは急に寒くなり、おまけに雨が降り出して来た。

 すると眼の前の遠くの方が仄かに明るくなり大勢の人々が行進して来るのが見える。その大勢の人々もや

はり先の老人と同じく色の無いモ
ノクロだった。そして行進が近くに認められると。それは!私は叫んだ。

あの旗は昔、確か何かの本で見た帝国大学の校旗だ。2人の若者を
先頭にして向かって右の人物は帝国大学

の旗を、向かって左の人物は
投刀をしている。左の人物はあの老人が若者に成った姿、その人だ。帝国大学

の旗を持つ人物は美しい秀麗な若者あれは老人の話していた瀬古と言う人物に間違いない。老人は戦争が無

かったら間違いなく一高、帝大へ行く筈で、しかも一緒に、あの1943年10月21日の行進へ出る筈だ

った。

2人は死して、なお親友に違いない。そして、あの若者に姿を変えた老人は私にあの1943年10月21


日の学徒出陣の行進を幻で再現して見せたのだ。

 後から続々と来る若者達は、もうこの世の人では無いが、あの日あの行進に参加した帝大や、その他の大

学の人達に違いなかった。すると激しい気合いと共に老人から若者になった人物が投刀をした。いや今から

は、この人物を若者と呼ぼう。そしてスタンドを見ると大勢の女性が見送っている。私の眼には、その中で

一段と美しい2人の女性が眼に止まった。あれは智恵子と薫では?さらに航空隊マフラーを降る女性は瀬古

の愛する人では?


そんな事を考えていると、どこからともなく若者の声が聞こえて来た。「お前に言う、この行進の人々また

スタンドにいる人々、お前には見えない南方やシベリアで死んだ人々や長谷川の心も実はここに来ているん

だ。この人々は世界から戦争が無くならない限り
幽冥の世界を彷徨い成仏出来ないのだ。しかし俺達は永遠

の若者となって今日よりは自由、平等、博愛、平和を実現するため努力する人々を、宣伝のためでなく真実

に努力する人々を守ろう。だから、お前は人々に言ってくれ俺達のために祈ってくれ俺達の事を決して忘れ

ないでくれ、と。今、世界には核爆弾が出来てしまった。それは狭い部屋で喧嘩をしてダイナマイトで脅か

しあいをしている家族と同じだ。今の世界は、それとどれだけ違うと言うのか?宇宙から見た地球は大層、

美しいと言う、その地球を守ってくれ。そして長い長い地球の歴史、古生代、中生代、新生代、数10億年

をかけて生まれた数万種類の人類以外の生物を人間の都合で、しかも一瞬に全滅させないでくれ頼む。私は

大きく頷いた。

 私は今まで何時も行進を正面から見ていた。すると私は不思議な事に知らない内に閲兵台にいた。頷いた

次の瞬間に、さらに、その直ぐ後に天から桜の花びらが散った。また全ての色彩は天然色に一遍になった。

先程の雨は風を伴い屋根が有るにも関わらず私を濡らしていた。しかし少しも冷たくは無い、その時だ。若

者と瀬古が私の閲兵台の前を通った。そして2人は同時に敬礼をして2人は美しい白い歯を見せ微笑み、こ

う言った。瀬古は「いざ去らば春よ青春よ」青年は。「我らは永遠の旅に行く」と。私も思わず敬礼を返し

言った。

「去らば永遠の青春」と。その次に行進は遠くなって行った。それと共に天然色の色彩は褪せモノクロにな

り、やがて行進も闇の中へ消えて行った。そして雨
はゼウスがダナエーに思いを遂げた時、黄金の雨となっ

たと言うが、その時の様に、きらきら光り全ての世界を覆った。そして私の意識は無くなった。

 気が付くと朝であった。納骨堂の中には静寂が支配していた。夢だ。全てが夢だったのだ真夏の夜の夢だ

ったのだ。私はそう思った。後で分かった事だが大富豪婦人の亡骸は寺の本堂にあったのだ。………

だとすれば私の見た物は、そして秦も直ぐ頓死した。しかしその時はそんな事は分からなかった。8月15

日の納骨堂を明り取りの窓から入る朝の光が浮かび上がらせていた。その中に微笑みを見せる如意輪観音は

暗く浮かび上っていた。この闇の中で美しさをます密教の尊像はその時、殊更
、美しく見えた。

 そして、ただ確かな事は、あの信じられない鬼々迫る餓鬼道に堕ちた鬼を描いた絵がその部分だけ黒ずみ

姿が無く

前頁−64−次頁
目次へ戻る