哀れなる魂 急の段 第1部 8月15日

 老人の話が一段落、着いた時、私は唖然とした。そして言った。「この納骨堂は、貴方みたいに裕福な身

なりの人が入る所では無い!だいち貴方は飛んでも無い嘘つきで気違いだ。じゃ聞くが死んだ人間が何故、

話をしているんだ?」老人は「青年よ俺は貧しいそして愚かだった。憂
きも一時、嬉しきも、思いさませば

夢て候
よ。何せうぞ、くすんで一期は夢よ、ただ狂へ。人生は夢よ狂へよとこの言葉の通り苦しさに目を瞑

って好きな事ばかりやって家族を泣かせた罰
が当たったのさ納骨堂に葬られた俺を息子は供養するために来

てはくれなくなったよ」「もう止めてくれ!貴方は麻薬の事に妙に詳しい、貴方は麻薬の売人だろう?そし

て欲に目が眩んで
一人で、あの大富豪婦人の亡骸をかっぱらったんだ。犯人は貴方だ!」「ははははははは

は…………」老人は大声で笑った。「何がおかしいんだ。愚劣な人だ。貴方は秦始
とつるんでいたんだろ?

奴等から金を貰っているんだろ?その立派な身なりを見れば分かる。もっと許せないのは欲に目が眩んで1

人で婦人の亡骸をかっぱらった事だ。秦始
に俺の事を言わないでくれたのは感謝するがね。何が俺は貧しい

だよ、俺だって知っているぞ、その腕時計はスイスの
最高級品、ネクタイも名は忘れたが最高級品だ、背広

も最高級品、タイピンもダイヤモンド、さっき俺に拾わせた靴はイタリア製の最高級品の靴だったよ。貴方

は何故、嘘を着く?何故、そんないじけた人間なのだ」

 老人は言った。「確かにお前の言った通り俺は最高級品の物を身に纏っている。確かにそうだ。まあ見た

まえ、今面白い物を見せよう」と
老人がそう言った次の瞬間、月下に照らされた立派な紳士の姿は、見る見

る変化して行ったのだった。服はみすぼらしくなり、その品性のある顔は、やはりみすぼらしく酒に酔った

下品な顔立に、見る見る変化して行った。更に頭髪は薄くなり高い背は縮まり最後にはとうとう下品この上

ない顔立になって、遂に1つの小さな影となった。しかし驚くべき事に今度はその影はどんどん大きくなっ

て、遂にあの寺の本堂で見た黒い大きな大男になった。

 そして更に驚くべき事に納骨堂の外で話をしているとばかり思っていた私は実は今の今まで納骨堂の中に

いたのだ。気付いて辺りを見回すと真っ暗に近い部屋だったので、それが分かった。不思議な事に僅かに


小さな2本の蝋燭が納骨堂を照らしていた。
 闇に眼が慣れ私は蝋燭の光が照らす黒い見上げる様な、あの

影を下から
める様に見て悲鳴を上げた。それは、それは…………あの俵屋宗達の風神雷神図の様な鬼、目は

黄金色に、そう犬や猫の目が闇夜に怪しく欄々と目を輝かす様に、その鬼の目も欄々と、また例えて
言うな

らゴッホの星月夜のあの壮絶な燃える様な心像と共通する、揺らめき、狂気の揺らめきがあった。口は真っ

赤に裂けている。その恐ろしげな顔は蝋燭の不気味な光が下から照らすため、その恐ろしさを一層引き立た

せた。それは遂に正体を現した。鬼、鬼だったのだ。 私は体力に自信はあったが恐れのあまり腰を抜かし

手で後
りした。ところが鬼は、また黒い影となった。そしてあの餓鬼の絵が書いてある壁へ近付くと、すう

ーっと吸い込まれる様に壁へ同
化した。壁の餓鬼の絵は蝋燭の薄暗さに浮かび一層その姿を不気味な物にし

ていた。そうだ!さっき見た鬼はこの絵の餓鬼その物だったのだ。その事を少し落ち着きを取り戻した私は

今更ながら気が付いた。 と、その時、更に驚くべき事が起こった。その蝋燭の光に薄暗く映える不気味な

餓鬼の絵の目が欄々と輝き絵は生気を帯、絵が動き出した。そして絵の鬼は遂に壁から抜け出したのだ。

 私はまた腰を抜かし後退りした。そして更に驚くべき事に、鬼の右横の薄暗い床の所を見ると、あの盗ま

れた大富豪婦人の死体が私に顔を横に向けて有るるはないか。

 鬼は右手でまるで軽い人形を扱う様に婦人の胸ぐらを掴み頭から食べた。真っ赤な血が鬼の口から溢れた

。そして
の婦人の肉体を鬼はまるでコッペパンを食べる様に、2〜3口で血を溢れさせバリバリと骨を砕

く音と共に食べた。そして私に言った。その声はまるで大地震の前の地鳴の様に低く恐ろしい音だった。 

「哀れんでくれ青年よこれが俺の本当の姿だ。人は良くこんな事を言う。人生は、人の顔は白いキャンパス

と同じだ。自分自身でそれに自画像を描く様な物だと。心掛けが悪ければ悪い顔に、品位と善意に満ちてい

れば魂の肖像も素晴らしくなると。しかし俺の描いた肖像画は俺が納骨堂に描いた餓鬼いや、食人鬼と言っ

た方が言い、鬼そのままだった。そして、この絵に
相応しい俺の魂は死後そのままこの絵に入って生きてし

まったのだ。生きている
時は人間の最も大切な肉である労働を食い物にした。自分の妻の労働をだ。そして

大酒を飲んだ。死んでからその報いで本当に人の肉、血の酒を飲み食らう地獄の様
な境涯になってしまった

。 青年よ今まで名も無い俺の様な物の伝記を聞いてくれて有り難う。こんな奇人の伝記を、いや俺は人の

労働、人の愛情
と言う血と肉を食べてしまった鬼だから鬼人伝と言うべきだ。そうだ、だから俺の伝記は鬼

人伝だろうよ。

前頁−61−次頁
目次へ戻る