さんは実家の墓に葬ったが、お父さんの墓は無い。君がちゃんとした墓を建てるまで、だって君は中学3年 だもの、私がお父さんのお骨を預かろう」と言って俺の骨は自分が手伝い、仏画を書いた納骨堂へ置かれた 。
しかし俺の悲劇は死んでからも続いた。手違いで無縁仏のお骨と俺の骨が分からなくなってしまったのだ 。俺が死んだのは昭和39年、東京オリンピックが華やかに始まり空にはジェット機が5輪を作った、その 日だった。