哀れなる魂  破の段 第5部 東京五輪の日に

持っていたが、それでも生活は苦しかった。にも関わらずその金を出そうともせず智恵子を働かせたからだ

。そして智恵子の職種には制限があった。何故なら俺は時々、頭に来ると息子をぶん殴るので智恵子は心配

で家の近所の仕事しか出来ない。智恵子は女の細腕で肉体労働をしていた。しかし俺は働こうとしない。自

分の女房を働かせて昼から酒を食らうなんて普通の神経じゃない。

 智恵子はしかし良い妻であった。智恵子は俺に職さえ探して来てくれた。俺は智恵子が職を探して来てく

れると例えば建設会社の資材置き場などに勤めると2ケ月ぐらいは勤めると止めてしまった。俺は全く小心

で意気地の無い人間に成り下がっていた。自分自身で頭を下げて職を探す事もしなくなった。そして変に昔

の自尊心を捨てなかった。

また変な恥の心を持っていて、こう思うのだった。「もし建設会社の資材置き場で働いている所を昔の俺の

栄光を知る奴に見られたら、ドウショ、ドウショ、ド ウ シ ョ ウ」と。けれどこれは間違った考え

だ。例え、どんな仕事であろうと昼間から酒を食らうよりは百万倍も素晴らしい、職業に貴賤上下など絶対

に有り得ないのに俺の心はこんな事を考えるまでに腐っていた。

 それに俺はもうアルコール中毒だった。確か川柳にこんなのがあった。「酒の無い国に行きたや二日酔い

また3日目の帰りたくなり」と。
俺もその類いだった。

 そして昔の様に演劇や音楽や文学や絵画の様な話はしなくなり、専ら酒を飲んでは例によって下らない冗

談を喋った。「俺の親父が近所の
寺の坂を夜通ったら電信柱見てえな、でっけえ お線香が燃えていたんだ

とよ、あれは、びっくりしたよって言っていたぜ。それから俺の親父が博打をやっていた時に急に警察が手

入れをしやがった。焦った親父は襖を開ける暇も無く襖を破って逃げた。後でその襖を見たら綺麗に俺の人

に破れてやがんのって言ってたぜ、そして下品に笑う。「グワァ〜ッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、

ハ〜 
グエ〜ッヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘ〜。
」と聞くに耐えない笑い声と冗談を飛ばした。

 それだけなら良い俺は智恵子や息子に暴力を奮った。或る時に、もう青年になった智恵子の弟が俺に無断

で智恵子を映画に連れて行った。

俺は智恵子をたったそれだけの理由でひっぱたいた。智恵子は発作的に家を飛び出して弟の居る実家に帰っ

た。俺の息子は智恵子を追って子供の事なので金を持ち合わせていなかったので息子は10キロ近くある夜道

を智恵子の居る実家まで追って行った。


俺はその時は何とか謝って智恵子に帰って貰った。しかし暴力が止んだ訳では無く、或る時、腹の立った俺

は智恵子を「このアマァツ〜」へのへのもへじになった怒りの顔でとひっぱたくと、さらに近くにある鋏で

長い美しい智恵子の髪をバッサリと切ってしまった。そして電気を消して
尚も、ブツ、ブツ、ブツ、ブツ、

ブツ、ブツ、ブツ、としつ
こく文句を言い続けた。智恵子と息子はまた俺が暴れ出す恐怖で布団の中に潜っ

て泣きながらも息を殺していた。俺はそれに向かって「うるせえ〜〜えええっ!」と罵声を浴びせた。

アメリカ映画ディアハンターのロシアンルーレット、傷ついた心は人に自虐への道へ追い込むのでしょうか

 俺は嫌な奴だ。人が何か些細な失敗をしたとき、やたらとぐたぐだ説教したり、しつこく文句を言う奴が

居るが、実はそう言う奴は人の失敗に付け込んで自分の不満の捌け口を求めて文句を言うに過ぎない奴が居

る。心の豊な人間は小さな失敗でぐたぐだ言わないし叱るけど愛情が有る。だが俺はこのぐたぐだ文句を言

う奴等よりも下等になっていた。

 こんな事を繰り返している内に俺は破産した。そして俺の家は銀行の差押えを食った。すると銀行の奴等

は職人を連れて来て屋根の瓦1枚、1枚にまでドリルで穴を開けた。智恵子は叫んだ「止めてー!」と。し

かし止める訳も無い。これは家の住人がもうこの家に住めない様にするための銀行の処置だった。

元はと言えば酒に溺れて博打のために、この家をも借金の肩に取られてしまった。ところで俺は気違い染み

ていた。俺は家に伝わる二振りの刀を酒を飲むと振り回して暴れた。がその二振りの刀も借金の肩に取られ

た。そして今また家も、そんな時、天の涙雨の様に今まで曇っていた空からどっと雨が降って来た。

 雨は穴の開いた瓦を通り家中を濡らした。俺と智恵子と息子はただ黙って雨に濡れながら、その様子を魂

を抜かれた死人の様に眺めていた。しかし俺達親
子に同情する人達も居て、その人達が色々次の家を探して

くれた。

 結局、俺達はこの土地から離れ東京郊外に引っ越した。新しい家は誠にみすぼらしい家であったが今の俺

の持ち金ではここがやっとであった。 しかし近所には豪華な家々が多く、或る薬会社の社長の家は、その

後その土地に都立高校が建つ程、広かった。また近所には或る化学工業の会社の社長の家があった。

 俺は或る時、この化学工業社長の義弟で三井■■と言う人が俺の息子を可愛がって年がら年中、家に来て

俺の息子を遊園地に遊びに連れて行ってくれたり、写真を取ってくれたりしているのを知った。

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