哀れなる魂  破の段 第5部 東京五輪の日に

そして蕎麦の様な、簾のいわゆる笊蕎麦頭になってしまい中学生の俺の息子にまで馬鹿にされていた。

  しかし、それもやむ終えまい。もう俺には息子を教育する力など無くなっていたからだ。なぜなら大人ら

しい事を今の俺は一つもしていなかったからだ。
 

 実は下の記述は私自身の体験なのです。この見知らぬ子は偶然に出会った。孤児院の子供だったのです。これは差別の様な言い方かもしれませんが両親の居ない子供の教育はやはり大変だと思います。私にとっては扱いきれない感じの子供だったので全てのことを全く記憶に残ったのです。私は自分自身の即興の言行をほとんど覚えておりこの通りのことを言ったと思います。それを虚構の物語の一部として利用したのです。そして孤児院と言う言葉を聞くと私はエリザベス・サンダースホームの事を思い出すのです。それも戦争の悲劇の一つかもしれませんたった一人の子供でも私はグロッキーになってしまた意気地無しの記憶があります。だのに沢田美喜さんの御苦労はいかほどだったでしょうか

沢田美喜 - Wikipedia

 大人らしい事といえば、まだ経営者だった頃に、こんな事があった。或る夏の日、買い物で自動車で家を

出る時、見知らぬ小学生四〜五年の男の子がこう言った。

  「おじさん買い物のついでに方向が一緒なら友達の家まで乗せていって」と。ところが友達の家に行くと

友達は居ないと言っては散々引っ張り回し終いにゃ図々しくも食料品屋の前を通ると菓子をねだられ買って

やった。

  俺は、少年が俺を利用している嘘つきである事を知っていたので自動車から降ろし、さっさと自動車で、

振り切って行くと少年は俺の背中
に嘘泣きをした。

  しかし俺は気になって暫くして道を逆に戻ると少年は居た。少年は俺にしたのと同じ様に「おばさん買い

物のついでに方向が一緒なら友達の家に連れてって」とまた例の嘘を着いていた。

  俺はその女性と少年の話に割り込み少年に「俺と一緒にこい」と言った。俺は近所のグランドで言った。

「体を鍛えよう」と。二人は腕立て伏せを始めた。すると子供は地面に居た蟻を殺そうとした。俺は「お前

は何も抵抗出来ないこんな小さな生き物を殺すのか?止めろ」と言った。そしてさっき菓子屋で俺が買って

やった菓子を少年は捨てようとした。俺は「食べ物は多くの人の努力がここに集まって、ここにある。

そして人の命を繋ぐ物だ簡単に捨てるのはよせ」と叱った。少年は腕立て伏せも止めてしまっていた。

  俺は言った。「お前は頭の良さそうな子供だから話したくて帰って来た。大人と子供の違いは何だか分か

るか?」と聞くと少年は返事をしない。俺は答えた「大人というのは苦しくても頑張れる。お前は本当は一

人ぼっちで友達なんかいやしないんだ。大人は確かに誰かが病気になったら救急車も呼んでくれる会社の仕

事でも協力している。しかし、お前はさっき腕立て伏せをやった時、苦しいから直ぐ止めてしまった。

 自分のために体を鍛える時、腕立て伏せを人に苦しいからやってくれと言えるか?勉強も、つまらないから

代わりにやってくれと人に言えるか? もし俺が腕立て伏せをやって、お前が強くなるのなら百回でもやっ

てやるよ。俺が勉強をしてお前が賢くなるのなら俺が勉強をしよう。

 でも俺が体を鍛えても勉強をしても、お前は強くもならないし賢くもなりはしない。確かに急病人を見れば

救急車は呼
なければならない。しかし人は助けられる事と助けられない事がある」

  俺は少年に質問をした。「プロ野球と高校野球と、どっちが辛いと思う?」と。少年は答えなかった。俺

は助け船を出して答えた。「プロ野球の方が辛いのだ。理由は肉体的には高校生のが辛いでも高校野球は命

令してくれる人が居るんだ。練習は辛い。でも強制してくれる人が居るんだ。しかしプロは違う。

 コーチは助言はするが最後は自分自身で工夫しなければならないそうだ」と俺は言い終わった。そしてこう

も言った。「お前の様に人の顔色を伺って生きる様な生き方は今直ぐこの場限りで止めろ。大人と子供の違

い、それは苦しくても、それを一人で乗り越える勇気が大人にはあるんだ。子供にはそれが出来ない。色々

な意味でだ」 そしてさっさと少年を置いて行こうとすると背中から少年の嘘泣きが響いた。俺は後ろを振

り向こうともせず怒鳴った。「泣くな!辛くても人には一人で生きなければならない時があると今教えたば

かりではないか」またこうも言った「聖書にはこう書いてある。神様は人間を神様自身に似せて作ったと。

だから人が辛くても神様が姿を現さず助け様ともしないのは神様ってのは人間を信じてるんじゃないかな、

だって万能の神様に似せて作ったんだからな。人間の
偉大さ尊厳を信じているから孤独に耐えて人生で素晴

らしい物を発見する事を信じているから
姿を現さないんじゃないかな。俺の言いたい事はそれだけだ。

 じゃあな、あばよ」そう言うと俺は後ろも振り向かずに自動車で立ち去った。少年は悟ったのだろう嘘泣き

を止めて俺の背中に「さよなら」と元気な声を投げた。

  そう、この少年に話した通り大人は辛い。だがこの頃の俺にはその辛さを乗り越える少しだが自分に対す

る厳しさがあった。あの頃の俺は今はどこに行ってしまったのだろうか。今の俺には他人の子供は元より自

分の子供を教育する力も無くなっていた。 でも俺は生きている。
 世の中とは、こうした物だ。

 必ずしもそうではないが。良い人は早く死に嫌な奴は長生きするとよく言う。西洋の諺にも「神に愛される

人は長生きしない」とあるが、そんな事を思う時、俺は瀬古の事を思い出し呟くのだった。「瀬古、お前の

様な良い奴が先に死んで俺の様な下らない人間がなぜ生きるんだ」と。俺は昔この目で見た学徒出陣壮行会

やニュース映画で見た神風特別攻撃隊のフィルムを思い出すと涙が溢れた来た。 そうだ俺は神に愛されな

い奴、俺は本当に嫌な奴に成り下がった。そうだろう、この頃まである程度の財産を俺は持っていたが、

 

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