哀れなる魂  破の段 第5部 東京五輪の日に

とする照れ笑いを俺は死んでも忘れない」と。するとその時、智恵子は口癖を繰り返した。「お父さんの家

もお母さんの家も旧い武家の家なので何か因縁が有るのだから仕方無いのよ」と。

  働かないで家でぶらぶらしていても少しの蓄えは有ったが家計は苦しいに決まっている。だが俺は時に妙

にむしゃくしゃして智恵子が食費の金も困っているのを知っていながら馬鹿食いをした。いつも俺は酒を飲

み過ぎて胃腸の調子が悪く、やがて便所から離れられなくなっていた。

 俺は知っていた。息子が陰口を叩いて笑っている事を。しかし俺には、それに対して何も言え無かった。

  その頃、俺は変な癖が習慣になった。家族がもう使えない汚いコップや衣類などの我慢すれば、なんとか

、やっと使えるをを捨てる事を
極端に恐れた。そしてこう言う。「まだ使える、まだ使える」と無理やりに

説得してそれ等の塵を大切にしまった。

  物を大切にする心からではない。俺は捨てられる塵と、もはや役に立たなくなった人間塵である自分自身

を心の中で同一視してのだ。塵が捨てられる俺も何時かは捨てられる。塵だって何時かは役に立んだ!と自

分の心を励ます様に俺は塵を捨てるのを止めさせる癖が着いてしまった。

  さらに俺は細かい不要品をきちんと新聞紙に包み梱包してさらに丁寧にビニールの紐で十字にゆわいてそ

れ等の塵を取って置くのだ。智恵子や息子は陰口を言っていた。「仕事はやらないくせに、変な所に熱い性

格だ」と。そんな事が重なり、或る日、家がつまらなくなって夜の街に飛び出したのだった。

  俺は街をほっつき歩いていた。するとどこをどう歩いたのかは憶えていないが昔の俺の栄光を示すビルの

所へ出た。今は他人が取締役社長になって取り仕切るビル。思い出したくも無いので今度は小走りに色々と

路地を曲り、疲れて止まると、また同じビルの下に俺はいた。また走る、また同じビルの下へ。俺は焦った

。また走る、また同じビルの下へ。

 そんな事を繰り返し疲れ果てて膝を着き昔、栄光を築いた会社の前、俺の建てた会社の前を見ると。男が

大威張で野心と傲慢と自慢を満面に湛えて胸を張り、そのビルを見上げていた。月下のビルの下のその男を

見た時、俺は大いに驚いて昔、声楽を奥田良三に学んでいた時に歌ったシューベルトの歌曲を思い出した。

シューベルトの歌曲、影法師

 「静寂の夜、街は眠っている。この家に私の恋人は住んで居た。彼女は、この町をすでに去ってい

たけれど、その家は今もここに有る。一人の男がそこに立ち高みを見ている。手は大なる苦悩と闘う

様に見える、その姿を見て私の心はおののいた。月影の照らしたのは、我が己の姿、汝、私の分身だ

った青ざめた男よ。お前は、去りし日の幾夜をここで悩み過ごしていたのか私のが悩みをまねき帰す

のか」
 そう、月下の下に

見たのは俺自身の栄光の絶頂の姿その物だったのだ。ハイネの詩をシューベルトが歌曲にしたものでは月下

の中、かっての恋人の家の前に来た時、己自身の姿を見る内容だ。恋人を悩んだ末、諦めた自分、そう思っ

ていた自分は実は月下に、本当の自分は忘れた筈の恋人の家の前に居続けたのだ。その本心の己が姿を詩に

書いたハイネの詩をシューベルトが歌曲にした俺も歌っていた影法師という歌曲なのだ。

 俺は、自分では昔の栄光を忘れているつもりだった。しかし俺のは片時も実はここを離れては生きては

いなかったのだ。俺は実は過去
に執着して生きていたのだ。自身のと生きていたのだ自分自身の執着心、

を目の当たりに対面した時、俺の執着心がこれ程までと
は、と思った。この馬鹿馬鹿しい昔の夢、影が俺

を潰したのだと俺は思った。 その後の俺は自分の未来も見詰めようとはせず、益々心は荒れだした。

そして俺はまた悪い癖が着いた。

たまに智恵子が働いて来た金で酒を飲んだ。そして飲み過ぎて胃を壊しをこわしげっそり痩せた。しかし、

直ぐ、ケロと直って威張り散らす。 俺はまだ三十代後半だと言うのに大きな会社の経営者の重責を続けた

ために、その気苦労でその時五十歳には見えた。段々年を取って来て初めやや真ん中分けだった髪を薄くな

って来たので誤魔化すために七、三にそして八、二

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