哀れなる魂  破の段 第5部 東京五輪の日に

しかし、その時、老人は話を止めたにも関わらず悦に入った様に少し顔に笑みが浮かんでいた。私は老人の

顔が昔の栄光を語った後に輝くのを見た。

 しかし、その老人の顔はさっと直ぐに曇り悲しい表情になった。老人はまた話始めた。

しかし、人生は、良い事ばかり続かない夢の様な幸せは、まるでコンソメスープに浮かべた薄いクラッカー

の様に直ぐ壊れてしまう。俺の人生の光の部分を話した今度は影の部分も話そう光が強ければ強いほどその

影も深いと言うが大した影でも無いが


 俺は結核になった。そして血を吐いて………という悲劇っぽい事にはならなかった。結核になったのは事

実だが映画の場面の様に咳は出なかった。結核患者のほとんどは実は血を吐く事はむしろ少ない様だ。俺の

入院した病院の患者も十人中九人は血は吐かなかった。


 しかし俺の結核はが悪かった。核という奴だった。長期療養の果てに俺は落ちぶれたのだ。金が無くなっ

たのでは無く裏切られた
のだ。誰にだと思う?自分の父親にだ。それが元で俺が一代で築いた身代の殆どを

失った。つまり取締役社長の座を会社から追われた。親父も素寒貧の中で死んだ。詳しくは聞かないでくれ

成功も話さないがその失敗はもっと話したくない。

 だが、その後の俺の生きは話そう。俺は捨て鉢になった。俺は僅かに残った金も博打に使った。ヤクザの

鉄火場、競馬、競輪、オートレ
ース。でも博打で儲かる訳が無い。賭博の言葉通りさ、チンチロリン、カッ

クンとたちまち金はへっこんでしまった。

 チンチロリン何て言葉は、お前は絶対知らない方が良い言葉さ俺は、そんな世界へ足を突っ込んだ。『博

打は人生の調味料だよ、それが無いと人生は味気無い、しかし、それを丼一杯食う奴は馬鹿だよ』と大屋壮

一は言ったらしいが、俺はその馬鹿の典型だった。

 さらに捨て鉢になった俺は酒を飲んだ。そして酒を飲み過ぎて体の具合が悪くなると、俺は結婚してから

は浮気などした事が無いがわざと関係もしていない昔の女の名前を智恵子の前で呼んだ。「ああ、あの女達

は、お前と違って優しかったな いの しか ちょうや」と言って名前の音を伸ばして言う。女の腐った様

な声を出して。俺は女の腐った様な性格になっていた。

 そして昔は食事の好き嫌いなど一つとして無かったのに偏食をする様になった。さらに智恵子の作った料

理にも、例えば或る時こんな屁理屈を言ってけちを付けた。

その日の夕食に胡瓜の酢の物に胡麻が掛けて有り隠し味に胡椒が少し入っていた。酒のつまみに胡桃の実が

有るその他にもおかずが有った。

 俺は言った。「お前は俺を野蛮人だと腹では思っているのだろう、だからわざと、こんな、おかずを出す

のだ。見ろ、この胡瓜の酢の物を胡瓜、胡麻胡椒、それに、つまみに胡桃、皆張騫が西域から持って来た物

ばかりだ。皆胡の字が入ってやがる。西域の野蛮国から持って来た物だから胡の字が着くんだ」そんな事を

言って智恵子を困らせた。完全な屁理屈だ。こんな事を言うまでに俺の心は腐っていた。そして食事の後に

わざと上品ぶって必ず少し食べ物を残した。昔は食事に好き嫌いが無かったので人が苦労して作った食べ物

を残すなどというふざけた事は絶対しなかったのにだ。

  俺は偏食と酒の飲み過ぎで通風になった。酒を飲むと悪化するので、その時だけは止めるが、治るとケロ

リ、と酒を飲んだ。馬鹿の見本とはこの事だ。

その時、酒など止めりゃあいい物を、さらに心が腐った証拠には飲み過ぎて体が弱って面倒を見てもらう時

に満足感を味わった。

  また俺は心に優しさが無くなり残酷になっていった。智恵子が可愛いがっていた家の動物を虐めた。猫を

棒でつついて目に内出血をさせたし兎も虐めた。 だが気紛れな俺は家で飼っていたリスを猫可愛がりして

、そしてリスに向かって「可愛い、可愛い」と言った。この時中学生になってい

た俺の一人息子は俺に反発して言った。「じゃ、お父さんは俺や、お母さんは可愛く無いのかよ?俺達の生

活を散々食い物
にしてよ」と怒鳴って家を出て行った。

  もう気付いただろう。俺はもう定職に着いていなかった。近所の小学校で映画をやる事を知った俺は見に

行きたかったが五円の入場料が払えない。

 俺は息子と二人で密かに金を払わず壁を乗り越えて映画を見た。息子も内心では惨めに違い無かった。そん

な父親に批判的なのは当然だった。

 それに、或る秋の事だ。俺は息子がお祭りのために金を蓄えていたのを知っていた。それは引き出しの中

の小さなマッチ箱の中に有った。

 麦の模様と鳳凰の百円玉を見付けた時に俺は嬉しかった。早速金を盗んで焼酎一合を買い僅かなつまみを買

って飲んだ。

 息子はお祭りの日にお金が無いと探し回った。そして、キッ、と俺を睨んだ。俺はその時も酔っていた。

そして息子に睨まれると。ヘラヘラと笑った。そして惚けた。

  俺は或る夜に寝ていると息子は俺が寝ていると思って智恵子に話していた。「あの時の嫌らしい酒に酔っ

た、そして、こそ泥を誤魔化そう

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