哀れなる魂  破の段 第4部 我が人生の輝ける日

私は喋ろうとした。すると老人は「分かっている、お前はあの大富豪婦人がどうなったかを聞きたいのだろ

う?」私は確かにその話も聞きたかった。しかし老人の話した大戦の被害にもやり切れない思いがしていた

し、この戦争の被害を受けた日本で老人がその後どう言う人生を辿ったかを実は聞きたくなっていた。そこ

で、その後貴方はどうしたのですか?と聞こうとした時、丁度その時、老人は私の言葉を遮る様に話始めた

のだった。

池袋ヤミ市
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 下の写真は戦後の焼け跡に出来た闇市です。俺がとっ捕まった街もこの様な所と状況だったのでしょうか小説で警官に捕えられたのは或る男の体験に基づいていて嘘ではありません。ただし下の場所は池袋では有りません

 俺は帰った。焼け跡の東京に俺の家は幸運にも焼けずに残ったのだった。■■の家も焼けなかった。俺が

戦前、集めた多くの英文タイプの機械も無事だった。親父はあいも変わらず細々とタクシーと青果業をやっ

ていたが、親父は金は結構、持っていたので戦前、戦後を通じて俺達は白米を食べていた。しかし、一般の

人々は焼け跡の東京に出来た闇市で食い物や日用品を買っていた。政府の配給だけでは生きて行ける筈は無

かったからだ。

 俺は早速タイプ機を売った。占領軍の占領した日本は英文タイプが必要欠くべからざる物だった。親父や

俺は、勿論、買い出しにも行ったが、後の時間は全てタイプの売買に明け暮れる毎日だった。持っていたタ

イプ機を売ると、その金はリックサック一杯になった。

 俺は闇市でリックサックを背負ってうろうろしていると警官にとっ掴まった。恐らく、その時の俺は必死

の形相だったのだろう。闇市の品物を持っていると勘違いされリックサックの中身を調べられ困った事も有

った。

 そのリックサック一杯になった金でまたタイプを集めに行き、またそれを買って売る、こうして俺は少し

の資本を作った。世の中はどこでも英文タイピストを欲しがっていた。あれ程、帝国が敵性語として弾圧し

た英文は俺の予想を遥かに越えて復活した。これも占領軍のお陰だった。

 俺は親父に頼んで俺の家の空き部屋にタイプを置いて、そこに学生をタイプを憶えるまで住まわせた。そ

してタイプを教え、その家賃と授業料を取る商売を始めた。学生は一杯集まり、また儲けた。こうして俺は

タイプ学校を作ってそれを大きくしていった。

 その反面、戦後その力を失った人々もいた。智恵子の家がそれだ。戦後の農地改革で彼女の家は、その莫

大な不動産を失った。その智恵子と俺は彼女が大学を卒業して間も無く結婚した。薫には可哀想だが智恵子

が深く俺を思っていて来れていた事を知った俺は薫には悪いと思ったが彼女と結婚する事にしたのだった。


そして俺は約束通り智恵子と一緒に瀬古に会いに行った。「九段の桜の下で逢おう」その約束通り九段に来

た。時は春の4月だった。瀬古は神風特別攻撃隊で帰らぬ人と成っていた。

 神風。戦前の日本人はいよいよ戦争が危なくなると昔、蒙古の軍が北九州を攻めた時、奇跡的な大風が吹

いて元軍が滅びた様に、戦争で日本が不利になり危ない状態になると神風と言う大風が吹いて戦況が逆転す

ると信じている人が多かった。 俺はそんな物は絶対信じなかった。何故なら人の国を侵略しておいて神様

がそんな人々のために大風を吹かせるだろうか、そんな吹きもしない神風と言う名を特別攻撃隊の名前に着

けた軍隊に俺は反発を感ぜずにはいられなかった 瀬古は帰らぬ人となっていたが瀬古、俺、智恵子の3人

で桜の下で逢う約束は守りたかった。俺はきちんと背広を智恵子は和服を着て靖国神社へ行った。

 桜が咲く4月、桜は、はらはらと散りかけている。と、その時、あの7つ釦の海軍軍人の軍服、白手袋の

瀬古が桜の下で俺に美しい敬礼をそして僅かに笑みを含んで俺に向かった。俺は生涯の内で一番美しい敬礼

をあの振り向きざまに俺に敬礼をした三の宮中尉よりも美しい敬礼を瀬古に帰した。しかしその姿は幻だっ

た。そこには別人の男の人が海軍に似た背広を着て立っているのみであった。

 俺はただ茫然として手を下ろした。「貴方どうしたんですか急に敬礼をしたりして、どうしたの?」「瀬

古がいたんだ」「まさか!」「確かにいた必ずいた」
智恵子は黙った。

 俺は靖国神社に桜を植えた奴が憎かった。日本人は例えば「行きくれて木の下影を宿とせば花や今宵の主

ならまし」「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」などの歌の様に桜と人の死とを重ね、そこ

に人の死の美化を見せる演出を12分過ぎるぐらい行った。宣長の歌に「敷島の大和心を人問ば朝日に匂ふ

山桜花」などの歌の桜への憧景は桜の散り際の美しさを日本人の美徳として高揚した。靖国に桜を植えた奴

は、その心を桜をこの神社に植える事により美化したのだ。

故意でなくても心の奥底の直感でそれを感じ、ここに桜を植え戦士の死を美化したのだ。 その演出は俺の

心をも動かした。俺は感傷的になって思った。そうだ瀬古は永遠の青春、永遠の美しい誇りを持つ戦士とし

て死に俺の心に何時までも生き永遠の青春のままで散って行ったのだ。

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