哀れなる魂 破の段 第3部 シベリア人 |
その頃の或る日、俺は夢を見た。親父、智恵子、■■の叔父、叔母、そして何と死んだ母と俺とで一緒に そして鉄道に乗りウラジオまで着いた。ウラジオストックから日本へ帰る時、大きな壁の絵が目に入った しかしロシアの将校は、はっきり言って馬鹿だと思った。それは隊列を組んだ俺達日本兵の人数を数える そしてロシアの将校はみずほらしかった。そこにくるとウラジオで日本兵を受取りに来たアメ公は何とパ |
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そして確か康安丸と言う船に乗ると日本人看護婦がいた。 帰りの列車は引き上げて来た兵隊はフリーパスだった。 |
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そして俺は広島に居る薫の父を尋ねた。しかし、 生き残った人々にも重大な後遺症を残す、それも子孫にまで影響が残るのだ。この爆弾による被害は死者7 さらに8月9日には長崎にも投下された。後年、俺は金を出して人に頼んで薫の父と母の消息を調べたが 昭和20年8月15日に戦争は終わったが、俺に取って22年10月18日にやっと戦争が終わった様な気 官民は何名、死んだかは分からないぐらい死んだのだ。これら戦死者、不具者の合計は261万人だ。これ この大東亜戦争は同時に第2次世界大戦と言って世界の連合国側は49カ国、枢軸国8国が世界を戦場と 第2次世界大戦は第1次世界大戦の時よりも3倍も戦死者が多くなった。しかしなによりも増えたのは民 この事は弱い民間人の大量殺人が無いと近代戦争は勝利する事が出来ないと言う事実だ。こんな高い代償 俺はこの戦争の人員の被害ばかりを言ったが破壊されたのは人ばかりでは無い街並みが戦前と戦後では一 |
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