哀れなる魂 破の段 第3部 シベリア人 |
まずい魚の酢漬。 討伐に行くとどこからともなく部落から酒の香りがして来て、その酒を飲ませて貰ったり、日本では再現 そんな何もかも貧しいソビエトで奇跡が起こった。或る時、俺は芸術的雰囲気に飢えていた。そりゃソビ 映画全体にとにかくちゃちな雰囲気が有り有りだった。その日は2本立てでこのちゃちな映画とスターリ そんな訳で俺は芸術的雰囲気に飢えていた。コルホーズで労働をしている時、急にバイオリンを弾きたく その次の日、あのボリショイナチャニックがバイオリンのケースを持って現れた。彼の手を良く見ると彼 それは昔、俺が弾いていた、コレルリ、ベラティーニ、プニャーニ、と言ったイタリアの作曲家やエック 労働の少しの間に練習をすると数日で、直ぐ昔の勘が戻った。やがて日本人やソビエト人が回りに集まっ 昔、俺は親父に日本の唱歌を弾いてやった。親父は古典音楽は余り好きでなかったらしいが俺に山田耕作の |
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厚生労働省:〜ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者名簿〜抑留死亡者名簿の閲覧ができます | ||
厚生労働省:ソ連邦抑留死亡者名簿:プリモルスク地方(ハセガワタケゾウ様たぶんこの方だと思います) | ||
しかし楽しい体験の後には悲しい体験が続く。それは俺を悲しませた。あの北支からずっと一緒にここま バイオリンを弾いていた頃は丁度、昭和22年8月頃。それから1ケ月程経った22年9月頃、長谷川は病 しかし、もっと俺を悲しませたのは長谷川の死に際だった。俺はもう虫の息の長谷川を或る日、見舞った 生きたい!生きるんだ!長谷川の心の中には、もはやこの一念しか無い事は分かっていた。そのためには 「長谷川!」俺が大きな声を張り上げても長谷川は、その口を開こうとはしなかった。 ところで俺はひま |
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