哀れなる魂 破の段 第3部 シベリア人 |
聖人孔子が生まれた所だ。 孔子は鄭や衛国の楽を俗楽と言って排した。魯は周の武王の弟、周公旦の血統の国で周の文化が残ってい そんな物見遊山の願いが戦争の時に叶う筈も無いが俺が言いたいのは眼と鼻の先に、そんな素晴らしい文 |
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私が話を聞いた■■が抑留された土地ソビエト(旧ロシア)のスーチャンの地図は下のリンクをクリックすると御覧頂けます。嘘ではなかったのです。 | ||
厚生労働省:〜ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者名簿〜抑留死亡者名簿の閲覧ができます:プリモルスク地方2(パルチザンスク旧スーチャン)と書いてあります。 | ||
しかし、ここソビエトのスーチャンはどうか。先にも話したがソビエトの芸術は日本に居た時から知って ところで繰り返しになるが済南には城閣、城門、道教の寺院とか美しい公園も有った。色彩豊かな家々、 そんな所で俺達は捕虜になり強制労働をさせられる事になった。着物は何もくれなかった。スーチャンに そしてソビエト側の収容所長と日本側の収容所長が決まり段取りは出来た。もうだいたい分かっただろう モロトフと言う削岩機は圧搾空気の削岩機で普通の日本人には重かった。ところがロスケの炭坑夫は片手 こんな労働を腹に据え兼ねていた俺は日本語でロスケに理解され無い事は分かっていたが食って掛かった 共産党は俺達、無産階級からも労働を搾取するのかよ共産主義てえのは、そう言う薄汚い思想なのかよ犬め 俺は直ぐ別の仕事に回された。うるさい奴だと思ったに違い無かった。今度は抗内から上がって来る石炭 炭坑生活では食べ物は黒パンで両手に一杯貰えた。しかし炭坑生活は辛い。先に話したが掘り終わると眼 食事の事だがソビエト人自身、大層食事は貧しかった。俺達も彼等と一緒に働くので、それは分かった。 そして便所と言えば土を深く掘って、その上に板が有る、そこに穴が有る便所で、底が見えないくらい深 この様にソビエトは便所の紙さえ無い。どんなに貧しいか分かるだろう。そしてソビエトは米国から多く |
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