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哀れなる魂  破の段 第2部 或る無名戦士の記録

油断だった。どんな作戦でも谷の下に中隊を置く愚をしない。谷間を通過する時は斥候を出して四方に敵が

居ない事を確認してから谷を通過する。八路軍は日本軍を恐れている様に見えた、だから指揮官は油断した

のだった。

 昔、これと似た情勢で現実に第59師団の草野清少佐率いる独立歩兵第43大隊、草野大隊は全滅に近い

打撃を受けた。斥候をも出さずに谷間を通過して八路軍に襲われたのだった。

 俺達部隊が谷間を通過しようとしていた時は、もう夕方だった。主力部隊は数キロ先だ、早くこの谷間を

通り過ぎなければ。谷間に村々が有る。調べると誰も居ない。怪しい雰囲気に指揮官はさすがに拙い、と思

ったのか中隊の通過を急がせる命令を出した。中隊の主力が谷間を抜けた時、俺達は不気味に静まり返る村


でしんがりを勤めた最後の1個小隊の半分が抜け残り25名が谷間で敵の奇襲を見張って居た。するとピ


ピッピッとそれも多くの敵の弾丸、敵は近くだ。俺達は直ぐ敵弾頭をぶっぱなした。谷間の入り口で銃激戦

の音が聞こえた。

 恐らく谷を抜けた所で日本軍の中隊の主力は八路軍と戦闘になったのだ。俺達部隊が谷間に居たのを確認

した八路軍は恐らく遠くに主力が居たのだろう。俺達日本軍の中隊を壊滅すべく八路軍の主力が着いた時、

日本軍の主力は谷間を抜けていた。俺達は幸運にも独立歩兵第43大隊の二の舞いは避けられた。

 しかし俺と後の25名程の奴は完全に敵に囲まれたそれは銃声の量で分かった。俺は遂に死を覚悟し2個

有る手榴弾の1つを取った。これは自決用だと教育されていた。日はもうどっぷりとつかり、ただ地平線近

くに有る満月の月明りのみとなった。

 俺達はとある民家に逃げ込んだ。俺は言った。「俺達はここで死ぬんだなー」すると佐渡出身の植松は深

々と、日本に帰りたい。俺は死ぬ前に日本の土をもう一度踏んで見たい」と言った。「植松、お前は佐渡出

身だったな」「ああ」「俺はこれでも内地に居た時にゃ声楽を習っていたんだぜ今は静かだが奴等、直ぐ攻

めて来るぜ、どうせ死ぬんなら1つ佐渡おけさでも歌ってから死のうじゃねえか」「気でも違ったのかよ敵

に俺達の居場所知らせる様なもんじゃねかよ」植松は言った。「もう周りは敵だらけだ恐らく1個中隊ぐら

い、いやもっとかもしれねえ、どう見たって10倍は居るじゃねえか、さっきの銃声の多さを聞いたかよ、

生きているのが不思議なくらいだぜ、もう逃げられねえよ」くす、と植松は笑った。そして「そうだなくた

ばる前ぐらい好きな事をやろうか俺も民謡は好きだぜ」俺は朗々と民謡を歌い始めた。恐ろしく静かな谷間

に民謡は響いた。すると皆、合唱をしだした。これで死ぬと思うと月明りだけで良く顔は見えないが悲しい

のだろう誰かが確かに泣いているのが聞こえた。 歌い終わると、また静寂。すると遠くで民謡が、佐渡お

けさが聞こえて来た。味方は居ない。これはどう言う訳だ!しかし、俺は直ぐその理由を悟った。日本人の

脱走兵の或る物は、また八路軍の日本人捕虜は八路軍の士官級に成っている人々が居ると言う。そして囲ん

でいる筈の八路軍の中からおけさ節は大勢の声で聞こえて来た。そして暫く敵の歌声は続いたがピタリとや

んだ。俺は死ぬつもりで月下に飛び出した。しかし銃弾は飛んでこなかった。

 日本兵は一度脱走したり八路軍の捕虜になった物は死刑なのだ。脱走した物は、未だしも、やむ終えず八

路軍の捕虜になって帰った物まで帝国陸軍は死刑にした。だから彼等は八路軍に成るのだ。しかし彼等は俺

達が最後の思い出に日本の民謡を歌うのを聞いて全滅させるに忍びがたかったのだろう。囲いを解いてしま

った。 何と悲しい事だろう同じ国民が遠い異郷の地で敵、味方になって殺しあう寸前になるとは、そして

、そんな中にも同じ国民を思いやる思いやりが残っていたとは。 俺はまた死に損なった。外には月が煌々

と照り空は澄み渡る。遠い日本で親父は智恵子は瀬古は俺の友達は、何をしているだろう。

すると俺の頭につまらない考えが浮かぶ。何と万有引力の法則。2物体間の引力は距離の2乗に反比例し質

量の積に比例する。平たく言ゃ物は離れりゃ離れる程、引き合う力は弱くなる。あるいは人間同志の愛情も

離れりゃ弱くなるかもしれない。ところが人の心は不思議な物で逆に目的が困難な程、目的に向かう力が強

くなる場合がある。恋人同志が邪魔されればされる程、恋の炎が燃え上がり遠ければ遠い程、何時も心に思

う事も有ると言う。俺も同じだった。日本が遠ければ遠い程、帰る事が絶対出来ないかもしれないと思えば

思う程、日本に帰りたい、家族や友人に会いたいと言う心の引力は強くなる一方だった。必ずしも自然の法

則が人の心に当てはまらないとこの時、思った。

 山東作戦が終わり中隊に帰った俺は、遂に大日本帝国の崩壊が決して遠くない事をはっきり悟った。19

年の暮れ頃だったろうか。俺は上官の部屋を掃除している時、偶然、確か内閣便覧と言う名の雑誌を見た。

その時、神風特別攻撃隊の記事が出ていた。確か敷島隊と言い19年10月25日で戦闘第301飛行隊、

隊長は関行男大尉で、さらに一飛曹、中野盤雄。一飛曹、谷暢夫。飛行兵長、長峰肇。上等飛行兵、大黒繁

男。これらの人々が初めて特攻隊を行う記事だった。俺はその時、日本の敗戦の近いのを悟った。

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