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哀れなる魂  破の段 第2部 或る無名戦士の記録

ところで話を戦場に戻そう。さっき敵弾の話をしたが、キリタンポみてえな八路軍の手榴弾が投げられて来

る。良くこのキリタンポ手榴弾が飛んで来て俺の近くに落ちると俺は、また敵へ投げ帰してやったぜ。

 良く戦争とか刑事物の三文映画で人が弾に当たった時「うわ!」なんて後ろに倒れたり三文刑事映画で弾

に撃たれた刑事が仁王立ちになる
場面がある。あんな事は絶対嘘だ人間が弾に当たると例外無く前に倒れる

勿論、後ろに倒れる事も在るだろうが。これが俺の見た戦争の死の場面、敵の死の場面だ。

 次が敵の捕虜の死の場面。その前に人間と言う奴は、おとなしそうな奴でも戦争が人を変えるて事は在る

かもしれない、と在る時、思った。

 八路軍から鬼の浜野、と呼ばれている人物。階級は襟章が上下、金モール縁、横に金筋1本に星が3つの

大尉だった。痩せていて神経質そうなこの軍人のどこにそんな残酷性が有るのだろうか八路軍を殺しては井

戸の中へ中国にも、勿論、井戸は有る。水を汲む桶を鎖で巻き上げるが、あとは日本の井戸と同じだ、その

井戸の中へ死体を放り込んで死体が井戸一杯に成ってしまったそうだ。

 浜野大尉は俺に声を掛けた。俺はその時、浜野大尉の当番兵を命じられた。大尉はこの安仙荘の中隊本部

の人では無が軍務でこの中隊に寄
った。俺は大尉の身の回りの世話を焼いていた。「どうだ軍隊には慣れた

か?」「はい」「まあ慣れるまで大変かも知れないが頑張りなさい」
と言った。戦争と言う物は人の心を変

えてしまう物かも知れないとその時、思った。

 しかしそれには無理からぬ理由も有るのだ。初年兵の4カ月の教育を終えて丁度、航空隊の新兵の亡骸を

荼毘に付した直後の事。さっき捕虜の死と言ったが、俺達初年兵は八路軍の死刑を上官から命令された。

 八路軍の捕虜は営庭の中に立っていた丸太に手を後ろに縛られていた。そして上官は哀れな捕虜のシャツ

の釦を取り全部を脱がせはしないが胸と腹を顕にした。捕虜は諦めて目をきつく閉じ、やや顔を天に向けた

。初年兵は命令される。「捕虜を銃剣で刺せ!」と。命令は絶対だ。そこには基督教も仏教も儒教もあらゆ

る慈悲の教えは無かった。

 俺は元々、花や動物や子供が好きな男であった。しかしその男に大日本帝国がやらせた事は………。俺は

最初に捕虜の体を刺さなかった。

そして俺の番が回って来る。捕虜はとっくに死んでいた。その肉体を次々にいたぶる様に刺して行くのだ。

銃剣は驚く程簡単に捕虜の体を貫いた。布の目隠しをされた捕虜の首は、かっくりと項垂れ
捕虜の腹を俺が

刺した時は血だらけで内臓が出て見られた物では無かった。

 さらに八路軍のスパイと思われる人物を明治大学を卒業した剣道3段山田中尉が取り調べた後に殺す所を

見た。俺はその場に居合わせた。捕虜を後ろに回した手を縛り目隠しをして座らせる、前には土を掘った穴

が有る。実はこの穴は捕虜に掘らせた穴だ。 気合いで一撃と共に刀を降り下ろすと捕虜の首は皮一枚を残

して前に落ちる、血が飛び散る。人間の体は頭が重いと言う事が初めて分かった。首が落ちると、そ弾みで

捕虜の体も「どたっ」と前の穴に落ちるのだった。

 そんな事を繰り返している内に俺は人の死に無感動に成っていた。死は1人称の死、私、2人称の死、近

親の物の死、3人称の死、死一般に分かれると言うが、初め俺は軍隊で見た死が自分がああなったら俺の友

達がと考え胸が痛んだ。しかし、今どんな残酷な死も1人称、2人称が考えに浮かぶ事が無くなって死者に

対する共感を忘失してしまった自分に気付き愕然とする。遂に死は、ただの日常茶飯事になってしまったの

だ。

 軍隊で死の感動が無くなる事は、この世で一番恐ろしい事だ。これが本当の地獄だと思った。古来、多く

の哲学者や宗教家が死と言う避けえない生の限界を逃げる事無く見詰め、限界有る生を深く再発見したが俺

には哲学者にも宗教家にも成る資格がこの時点で無くなってしまった様に思えた。

右より中華民国蒋介石総統、朱徳、中国共産党、毛沢東主席
YouTube - 日中戦争 (1937-1938)

 それならば未だ良い。死に無感動になった俺は捕虜をいたぶるのも平気になっていた。或る時、間違いな

く八路軍のスパイと思われる捕虜を殴っても決して口を割ろうとはしなかた。ところで始めから八路軍のス

パイと分かっている捕虜で少しは口をきく奴もいた。勿論、肝心な事は話さないがそんな捕虜の1人に俺は

質問をしてみた。
朱徳を知っているか?」捕虜はいかにも自慢下に大きく深く頷いた。その内こいつも

どこかへ居なくなってしまった。し
かし初に話をした俺の殴った捕虜は、上官の「男を調べろ」との命令も

有り、何度も聞いたが、答えは「知らない、知らない」の一点張り。俺はその捕虜に激しい憎しみを感じた



こんな事は今まで決して無かったのに、そして俺は遂に人殺しまでしたのだった。 頭に来た俺は奴を寝か

せて口に手拭いを突っ込み、その口から、ほんの少しずつほんの少しずつ水を流し込んだ。嫌が上にでも水

を無理やり飲ます拷問だった。すると水は幾らでも入る様に思われた。

腹は山の様に膨れた。しかし奴は吐かなかった。そして営倉にぶち込んで置た。暫くすると。「おい、捕虜

の具合がおかしいぞ」と俺に知らせ

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