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哀れなる魂 序の段 第1部 不思議な老人

 今、私か起こそうとしている事件もこの事と無関係では無い。父と私が反目しあう仲でも最近、私は父に

同情していた。

 それは土地のヤクザとの不動産をめぐる対立である。以前、新興のヤクザに、父の親戚が土地の一部を半

ば脅す様に買い叩かれたのだ。僅かな土地だからと、ヤクザの復讐を恐れ親戚は土地を売った。豊かな資産

家なので小さな土地の事、と諦めたのである。 このヤクザ秦
は、売春、鉄火場、猥褻本、覚醒剤、高利貸

しから頼まれた暴力による金の取り押さえ、などを扱う、と悪い噂を聞いていた。

 前もヤクザはこの街にいたらしいが、この新興のヤクザほど目立たなかった。新旧ヤクザの対立で、この

街は住みにくくなっていた。

 この新興のヤクザ秦は、どういう訳か、私の父の寺の境内とは別に父が持っている土地、不動産に目を付

けたのだ。寺の境内で蛇に睨まれた蛙の様な父を見た。小柄な痩せた身体、白髪の混じった坊主頭、窪んだ

小さな目、どこか落ち着きの無いその動作、顔には太い縁の眼鏡を掛け高くも無い鼻を絶好の斜面として、

その上を眼鏡はスキーを楽しみ滑っては止まっていた。小さな口からは小声が似合うらしく声も、ぼそぼそ

、と小さかった。

 それに対し秦は油ぎった禿げ頭、かっ、と見開くどんぐり目、体格は大きくがっしりとしていて厚く下品

な唇の上にちょび髭が装飾していた。やはり、縦縞のだぶだぶのダブルの背広を着たパンチパーマを掛け黒

いサングラスを掛けた二名の子分と父をねちっこく説得していた。

 私は半開きの寺の玄関の引き戸の陰の所で偶然それを見た。有名人の顔は直ぐ分かり、不動産の噂、父へ

の脅す様な素振りを見た時、咄嗟に頭に血が昇り「殴り殺してやろう」と思ったが偶然、母が必死に止め大

事には至らなかった。

 私の野人的気質を知り抜いている、この老母が咄嗟に行動を理解し私の口を押さえ気付かれない様にし、

私に必死に止める様に言ったのだった。

 しかし私は、この日以来このヤクザへの憎しみが心に燻り続け、それが爆裂する日が来た。前に話した大

富豪婦人の死を切掛けとしてである。


8月13日夜遅く、婦人は亡くなり8月14日が友引なので8月15日に葬式を寺で行いたいと遺族が言っ

て来た弔問客が極めて多いので故人を家に帰してから8月14日、丸1日、寺に預かって貰った方が都合が

良いと頼んで来たのである。ただ夏場なのでドライアイスなどの管理を頼むと言われ、それを私が引き受け

たのだ。

 8月13日午後10時頃、婦人は亡くなり実家で親族だけの通夜を済ませ8月14日午後3時頃、婦人の

亡骸は寺に運ばれ、明日、8月15日午前10時に盛大な葬式が始まるので葬儀社の人は少し準備をして行

った。

葬儀社の1人息子、根本は前、銀座の宝石貴金属店に勤めていた。太った人の良い人物であった。その日

彼は私に「さすがに豪勢なもんだ、あの仏さんの身に着けている装身具、それに聞いた話じゃ1緒に墓に埋

めちまうってんだから、凄いよ!」 私は「あの老婦人の身を飾る副葬品の装身具は100万円ぐらいかい

?」と聞いた。「ははは」と彼は笑い「そんなぐらいじゃ最初から話はしないよ、ま、億に近いね」さらに

彼は続けた。「この街にはハイエナみたいなのが居るからあの秦見たいな奴、まあ、仏様のドライアイス頼

むね」と。彼等、葬儀社の人々は帰った。私は早速、老婦人の亡骸を見に行った。

 今し方まで、数人の人々が、がさがさと出入りしていた寺の本堂は真夜中の静けさを取り戻していた。棺

は葬儀社の手によって本尊、釈迦無尼仏の前に金色の布を掛けられ静かに横になっていた。

 馴れっこになっている香の匂いが夏の暑さを和らげる様に辺りを包んだが寺の本堂とは火抗変じて池とな

る様な感じが支配するらしく、うだる暑さも静
けさと冷ややかさが底に流れている様な気が私にはした。先

程の葬儀社のお兄ちゃんの言葉が思い出されて、私は棺に合唱し深ぶかと、くりくり坊主の頭を下げた。

 トレーナーと汚い作業ズボンを履いた寺に相応しくない様な坊主の息子は、静かに金の布を取り「失礼し

ます」と言って棺を開いた。 寺の電球はさして明るくない、光は婦人の亡骸をレンブラントライトの陰影

で彩色して眼前に蘇らせた。確かに婦人の装身具は美事な品物であった。ふわっと胸の上にそっと置かれた

、綺麗に爪を切られた手の指に冷々と怪しい星が揺れる様に数個、大きなダイヤモンドの指環やダイヤで飾

られたネックレス、胸飾りが眼に映った。それらのダイヤの色はパープル、ステール、コニャック、黄、ホ

ワイト、萌黄
、ピンク、と色とりどりの様に思えた。  

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