哀れなる魂 破の段 第2部 或る無名戦士の記録 |
私は老人がこの18年10月21日の壮行会の話を終わると老人の目頭が潤んでいるのを見た。そして悲 私はあの大富豪婦人の事も知りたかったが戦争の事も知りたくなり「一体、どの方面に行ったのですか? 18年10月21日の学徒出陣壮行会が終わると地方出身の学生達は次々と帰郷していった。東京駅、上 「九段の桜の下で逢おう」と瀬古は言った。「もしお前が俺より先に、生きて日本へ帰って来たら九段の 「瀬古さん元気でね」「智恵子ちゃんも元気でな銃後の事は頼むぞ」また智恵子は泣いていた。そして「 瀬古は「そうだよ智恵子ちゃん、また3人で、いや薫ちゃんも探して4人でお花見に行こうと言う合言葉 俺も咄嗟に敬礼を帰した。瀬古の姿が小さくなりながらも敬礼をしながら頷くと俺も敬礼をしながら深く |
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左は千人針と言うお守りだそうです。右は出征を祝う人達。この頃の人達は度胸が良いと思います。私なん臆病だから若し兵士で有ればこの時点で失神しているかもしれません。情けない話です。 | ||
そして、いよいよ俺が入営する日が来た。俺の家の前には昭和16年、国民学校令によって今までの小学 俺は子供が大好きな男だったが、この国民学校とか小国民と言う様な人を小馬鹿にした様な全体主義的名 そして白い割烹着に左の肩から国防婦人会と字の入った、たすきを掛けた婦人会も見送りに来てくれた。 集まった人々は皆、兵士である俺を送る歌を歌う。「我が大君に召されたる生命ち栄えある朝ぼらけ…… 例によって幟が立っている。1・5メートル程の竹の棒に日の丸、その下に、祝い、その下に出征、その 千人針も貰った。こんな臍が茶を沸かす下らない物は欲しくは無かった。しかし当時は銀座、浅草、新宿 確かにその思いは認める。事実、俺はこの布をシラミが湧くと言うので腹には巻かなかったが戦後も捨て そして見送りの人々と一緒に近所の神社へ無運を祈る。国民服を着た俺は姿勢を正し皆に挨拶をする。「 |
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