1943年10月21日の青春⑲

哀れなる魂　　破の段　第１部　１９４３年１０月２１日の青春

	確か市電の千束から行くのだが、どの店かは忘れた。客間は、壁は鏡張で客を囲む様にソファーが在って、ずらりと女が座って客はそれを選ぶ。色々な特飲街は、こんな風だった。親父は特飲街通いに感ずいていたが俺に何も言わなかった。それを良い事に俺はあいも変わらず遊び続けた。　州崎で仲居さんに「今度、遊技になるから私を面倒見て下さいね」言われた。つまり愛人にしてね、お金を出してね、と言われた。しかし女を囲う程の経済力など無かった。そんな或る日、俺に見知らぬ男から手紙が来て、親父はその手紙を「俺の目の前で読んで見ろ！」と俺に命令した。見知らぬ男の名前、差出人住所を見ると東京府深川區洲崎辯天町２の１。１銭５厘の切手が貼ってあった。　俺は即興で、その手紙を読んだ。手紙は、あの仲居からだった。洲崎は有名な色街だ変だと思った親父は俺にわざわざ手紙を読ませた。さすがに油汗が出た。これ以後、放蕩を止めた。　そんな時、瀬古が来た。昭和１７年５月、瀬古は帝国大学文学部に入学していた。久し振りに遊びに来たのだ。色々、話が弾むうちに瀬古は「悲しい事だな今度の金属回収令で俺は偶然、英文タイプ機が強制供出されるのを見たよ」　俺は愕然とした。俺はタイプを打てた。便利な機械だが機械が無くなるよりも俺が恐れたのは英語とその系列の言語が今の日本で完全に抹殺されて行く現実だった。　俺は急にはらわたが煮えくり返った。戦争は戦争、文化は文化だ、くだらない、なぜ英文を抹殺するのか？まだまだ英文はこれからの日本に必要だ。俺は瀬古に向かって「俺は英文タイプ機を集め回る、そして隠して置くよ、こんな物を集めても、なにもならない、でも俺は信じる、いや、どうしても信じたいこの機械が何時の日にか必ず日の目を見る時を」　俺には分かっていた。今の日本ではそんな時代は永遠にこない事を。俺の腐った心にも権力に反発する反発心が在る事が俺には嬉しかった。瀬古は俺をじっと見詰め「頑張れよ」とただ一言、言った。　聡明な瀬古は俺の決心が下らない事を気付ていたろう、しかし俺を見る瀬古の目は俺の身に次々に起こった不運を思いやってくれている事が俺には分かった。俺が生き甲斐を見付けた事も喜んでくれたに違い無い。それに瀬古自信、国家に一矢報いたいと思ったに違いなかった。　この頃の俺は放蕩三昧であれ程、好きな演劇、特に新劇や映画も見なくなっていた。だいち１５年８月には学生は映画、演劇は日曜しか見てはいけない事になり新劇の中心的存在、京橋區築地３丁目の築地小劇場も１５年９月、国民新劇場と改名させられ、１６年アメリカ映画の上映禁止、１５年８月には新劇、「新協劇団」「新築地劇団」は解散を勧告され村山知義、久保栄、滝田修、小沢栄太郎、千田是也などの演出家、俳優、１００名以上が検挙されていたのだった。築地劇場は大正１３年、定員四百名の劇場として土方与志、小山内薫が作った新劇の聖地だ。　ところで信じられない話しかもしれないがどんな小さな劇場、映画館にもガチャ公、警察官の見る特別席が在った俺が映画に通っていた時はガチャ公は居た事が無かった。なぜなら映画は検閲済みだから。　何時かは忘れたが最後に築地小劇場に新劇を見に行った時、森雅之が主演で小暮三千代が俺の隣で劇を見ていたっけ。１４年４月に映画法が決まり、この劇も脚本の事前検閲を受けていたろう。俺も戦地へ行くのだから、そんな事は考えずに短い時間を楽しむ事にした。　そして巷には軍歌一色で、そんな時、演劇映画は色褪せた物になった。放蕩も、そんな抑圧の捌け口だったのかもしれない。１５年９月国鉄の駅の標示板の英語も消された。１５年９月２７日に日独伊三国同盟が締結され軍事色はますます濃くなって行った。
	左より日本が同盟を結んだドイツ国家社会主義ドイツ労働者党党首のヒトラー右は強制収容所ヒトラーやムソリーニの演説の場面を見ると惹きつけられるような雰囲気を持っているがその影で多くの人々が虐殺されていた。

	イタリアのファシスト党ムソリーニ
	話は英文タイプに戻るが、そんな時代の抑圧下の中で日本の国民が外国の文字を無理に捨てざる得ないまで圧迫されている事に俺は最後の抵抗をしたかった。　瀬古からタイプ機が強制供出されていると話の在った次の日、俺は親父に出来るだけ協力してくれ金を工面してくれと全ての気持ちを言った。親父は「限りは在るが少しはな」と言った。親父も俺に悪いと言う気持ちが在ったのかもしれないし次々に起こった俺の不運を思ったのかもしれない。また、何時か集めた英文タイプ機が日の目を見た時今の数１０倍で売れる、と言う俺の話に商売人としての才能が在る親父は投資をしたのかもしれない。　しかし、金は殆ど使わなかった。敵制語の機械を持って行ってくれる事で帰って多くの事務所や学校は、有り難がった。俺は東京中を足を棒にしてリヤカーで歩き回った。　始めから自分の家の倉庫では間に合わないので■■の叔父に事情を話してタイプ機を土蔵に入れて貰う約束をした。来る日も来る日もリヤカーで２束３文のタイプ機を集め回った。　その途中で昔のオイコラ警察の巡査が俺を咎めて「これは何か！」と聞くと、俺は「英文タイプの機械で在りますこの様な国粋主義を馬鹿にした宣伝をする機械は、自発的に集めてお国の為の弾丸にすべく集め回っているので

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