1943年10月21日の青春⑨

哀れなる魂　　破の段　第１部　１９４３年１０月２１日の青春

	先生は、「本郷の１高の寮に入らねばならないし両親と良く相談する様に」と言った。親父に話すと大して嬉しそうな顔もせす、「そうか、大切な事だから俺がじかに先生と相談する」と親父は言った。「じゃあ、１高に入っても良いんですか？」と聞くと「ああ」と答え、さっさと自分の部屋に帰ってしまった。　１月末、俺は先生に１高の事を確認すると「お父さんに話して在るから全てを聞きたまえ」と言われた。俺は先生から具体的１高入学の話があるのか、父から入学の話があるのかと待っていた。しかし、父からも先生からも全く話が無い。その夜、俺は親父へ聞いた。　親父は、「あの話は俺の一存で断った。先生にはその事は口止めして置いて貰った。お前がそれを知れば、お前は外の大学の試験を受けるだろう、俺が言いたいのは大学へ行くな、と言う事だ」　俺は、かっと、なる自分を必死に押さえながら、親父に飛び掛からんばかりの勢いで聞いた。「なぜですか？」親父は答えた。「学問なんか必要無い、今は軍人の時代だ、士官学校でも入りゃ、良い物をなにが１高だ帝国大学だ、それに今、日本がどんな状態だか分かっているのか
	下は大政翼賛会のポスターこのほかにも色々な標語が有ったらしいのです。「ぜいたくは敵だ」とか「一億総金玉」とか失礼しました「一億総火の玉」でした。「一億総金玉」は原田御まん五郎主宰の大性欲賛会(音が似ているでしょ)の標語でした。昔だったら非国民で殺される

	昭和１４年には米穀、石油、木炭が配給、１５年７月２６日には合衆国は石油、屑鉄を輸出許可制品目に追加しているんだ、恐らくこれから日本へ石油の輸出も制限する、その時ツーリストはどうなる円タクは今はなんとか走っているがましてこれから合衆国と戦争にでもなったら石油は陸、海軍が優先で使うに決まっている。１５年には米、味噌、醤油、塩、マッチ、木炭、砂糖、お前も知っているだろ、貰うのに皆、切符制だ。銀座の通りにまで、上の方には「日本人なら」その下に「贅沢は出来ない筈だ！」何て書いてある看板が在りやがった。１５年の９月１１日には隣組、何て面倒な物が出来やがって、俺は町会の役員で隣組に関わって忙しいじゃ、踏んだり蹴ったりだ。分かってくれ、済まないこの通りだ」と親父は最後には禿げ頭を俺に下げた。「俺の飯の種がどうなるのかさえ分からんのだ」とまで言った。　「じゃ、お父さんは夜学なら良いんですか？昼間どっかで働いて学費は自分で賄います」「それならば良い、でも大変だぞ学問なんか止めろ、何の役にも立たない役に立つ金は、皆な、お前の物だ。■■の家に学費を借りても良いが、何時も■■じゃ、今度学費までじゃあんまりだ。俺は正直言うと、お前に店を手伝って貰いたい、お前の代に俺の少しの財産を何倍にもして欲しいんだ、何も学師さんになるだけが人生じゃない、でも夜学の入学金ぐらいは出すよ、それに学費の半分ぐらいはな」俺は１高に入学出来ないのは辛かったが諦めた。戦争の影は俺の学問に対する情熱をも邪魔した。　俺は早速、夜学をどこに行くのか考え始めていた。２月上旬からただしく試験を申し込んだ。ところが人生と言う奴、ついていない時にはとことんついていない。　学期末の物象の試験を俺は一生懸命予習していた。前の学期が悪かったからである。俺はいっも学校の成績は優だった。母はなによりも、それを喜びその為、俺は頑張った。　自分で言うのもおかしいが俺は近所で評判の親孝行息子だった。しかし不思議な事に、この半年、母を思うだけで涙が出るのだった。２月の試験日の前の夜、夢に母が家の畳に倒れている。俺は「どうしたんだ！」と必死で母を揺振り、親父を呼ぶ、俺は母を抱き上げた。両腕に感じた体重と供に目が醒めた。　俺はフロイドの本で在る人物の死を、自分自身で意識出来ない深層心理、無意識が願う時、夢でそれを適えると言う事を知っていた。その時、例外なく夢の中でその憎んでいる人物の死を悼み泣いている場合が多い、また、その人物を夢で死なせると別の願望が適えられる場合に人の死を夢に見る。　また夢は人生の重大場面の練習をさせると言う心理学の学説、誕生、死、肉親の死、結婚式、喧嘩、性体験。俺は何時か必ずやって来る母の死を夢で練習したのだろうか？夢はまた余りに大きな精神的感動、恐怖や悲しみを和らげる衝作用が在ると言う。恐怖映画を見せて眠らせない人と眠った人では不安の強さが違うと言う。　俺は母の死を無意識に願っているのだらうか？そんな馬鹿な」そして最後に最も恐ろしい心理学では証明されていない予言の夢。　合衆国大統領リンカーンは亡くなる前、自分自身が死ぬ夢を見てそれは「暗殺」という型で的中した。しかし、俺は否定した。あれほど元気な母がなぜ死ぬのか。そして物象の試験の日、母は元気良く見送った。試験は間違いなく満点だっ、と思った。　その日、なぜか誰も居ない教室をどうしてそうしたか分からないが、選んで１人で弁当を食べていると不思議に涙が止まらなかった。　家に帰ると優しく、にこにこ笑いながら、「お帰り、試験どうだった？」と母は聞いた。「ああ、前は失敗したけど今度は満点だよ」と答えた。１高の入学が駄目になった時も母の慰めが唯一の救いだった。

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